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村浜 TAKE HERO
本名 村濱 武洋
性別 男性
国籍 日本
誕生日 1974年12月5日(42歳)
出身地 石川県石川郡野々市町
身長 163cm
体重 63kg
リーチ
階級 ミドル級K-1
所属 大阪プロレス
→OFF
→大阪ファイティングファクトリー

村浜 武洋(むらはま たけひろ、1974年12月5日 - )は、日本プロレスラーキックボクサー総合格闘家石川県石川郡野々市町出身。大阪ファイティングファクトリー所属。兄は総合格闘家の村濱天晴

大阪プロレスに所属していたが、2004年に退団しフリーとなった。2005年5月よりZERO1-MAXと契約、入団したが怪我による体調不良のせいもあり1年で解雇された。

選手引退後は正道会館において空手指導者を目指す。

2010年3月27日のK-1 WORLD MAX 2010 ~-70kg Japan Tournament~よりリングネームを村浜 TAKE HERO(むらはま テイクヒーロー)に改名した[1]

獲得タイトル 編集

格闘技 編集

  • 日本シュートボクシングカーディナル級王座
  • K-1 JAPAN GP 1997 フェザー級トーナメント 優勝
  • KICK世界スーパーフェザー級王座

プロレス 編集

来歴 編集

幼少期 編集

学生時代に主に柔道を経験する。その後新空手、アマシュートボクシング(以下SB)を経験し、シュートボクサーとしてプロデビューを果たした。ちなみにアマチュア時代には土屋ジョー鈴木秀明とも対戦経験がありいずれも村浜が勝利している。特に新空手第3回神奈川大会は、新空手史上稀に見る激戦の連続であり、優勝・村浜武洋、準優勝・鈴木秀明、3位・山田隆博という顔ぶれが揃う大会であった。

シュートボクシング時代 編集

小柄ながらスピードある連打とフットワーク、無尽蔵のスタミナを生かし大活躍する。王座を獲得した後はSB内ではライバルが見当たらず、その後は主にタイ人との試合が多くなっていく。敵地タイでも闘った。中期のSBのエースであった。

1997年に行なわれたK-1フェザー級(60kg)トーナメントにSB代表として出場。当時のキック界の主要選手であった前田憲作佐藤堅一らを破って優勝。普段からのビッグマウスを有言実行してみせた。

しかしその後、シーザージムとの関係がこじれ、村浜はジムに全く訪れなくなる。試合も組まれなくなり、ジムからは退会、事実上SBには戻れなくなってしまった。その後はプロレス入りした。

大阪プロレス時代 編集

1999年から大阪プロレスに参戦、当初は異種格闘技戦という形でスペル・デルフィンと抗争。一匹狼のヒールとしてその個性を遺憾なく発揮する。最終的に敗れたもののデルフィンとの間に友情が生まれ大阪プロレスに入団を決意する。その後はプロレスのムーヴに順応していき団体の看板を背負う選手になっていく。この間も総合格闘技への参戦も並行して行ないそちらでも活躍を見せる(#K-1 WORLD MAX, HERO'Sへの挑戦参照)。

2002年獣神サンダー・ライガーと対戦し、ライガーから高い評価を受け後にタッグを結成している。2003年にデルフィンが第一線を退きエースに指名される。

2004年にK-1 WORLD MAXのリングで山本"KID"徳郁に敗戦(後述)してからは故障も相まって精彩を欠くようになり、2005年1月末をもって大阪プロレスを退団。

ZERO1-MAX時代 編集

大阪プロレスを離脱後、大阪に住むZERO1-MAX会長に誘われ、4月に靖国神社で行なわれた奉納プロレスを観戦、そこで健介オフィス中嶋勝彦にタッグ結成を依頼され承諾、高岩竜一には挑発されZERO1-MAX参戦を決める。以後、数回のZERO1-MAX来場を経て5月より正式参戦、さらにZERO1-MAXを運営するFOS(ファーストオンステージ)がプロレスリング・ノアと共催した「第2回ディファカップ」に中嶋とのタッグで参戦も1回戦敗退。タッグも事実上解消となった。

その後、ZERO1-MAXで開催された「第3回天下一Jr.」にフリーとして参戦、決勝に進むも佐々木義人に敗れ準優勝。ZERO1-MAXの運営会社・FOSがPRIDE運営のDSEと共催しているプロレスイベント「ハッスル」に、坂田亘のパートナーとして突如参戦する。しかしその直後、K-1の総合格闘技イベント「HERO'S」のオファーが届き、村浜選手も「谷川さんと前田さんと上井さんに頼まれては断れない」と、出場を了承、一時的とはいえDSEとK-1(FEG)の主催イベントを掛け持ちする状況を体験することとなった。なお、村浜本人はK-1 WORLD MAXへの出場を最優先に考えていたため、すでに決定していたハッスルの試合を消化後はK-1側に気を使ってハッスル参戦を取りやめており、坂田亘のパートナーもマーク・コールマンとなった。

6月の後楽園大会ではFOS側のギャラの整備も兼ね、5月1日に遡ってZERO1-MAXに正式所属したことを発表。所属になった最大の理由は「悪くは無い金銭条件で不明瞭な点がないこと」「昨年怪我で長期欠場した時に生活の安定を欲したこと」をあげており、結婚したことがその心境に影響を与えたと思われる。

そして7月6日、ZERO1-MAXの試合を休んで万全を期して挑んだHERO'Sミドル級トーナメントだったが、1回戦でレミギウス・モリカビュチスに1分14秒でKO負け、総合格闘技からの撤退を宣言、当面はプロレスに専念しながらK-1 WORLD MAXのオファーを待つこととなった。

以後、ZERO1-MAXでの村浜選手は怪我との戦いになる。前年痛めた膝が万全ではなく、主に前座で若手と戦うことが多くなるが、本人は「ヘビーと当たってなかったので毎日が新鮮」と試合を消化していくが、そこに村浜らしさは見られなかった。そんな村浜にZERO1-MAX側も8月24日長野大会で全日本キックの小林聡と2Rのキックルールエキシビションマッチを組むが、膝を悪化させ消化不良の内容に終わり短期休養したり、またかつて同じ大阪プロレス所属だったGammaを呼びタッグを結成、10月2日札幌大会で日高郁人藤田ミノル組の持つベルトに挑戦させるがこれまた膝の怪我が響き敗戦する。10月10日後楽園大会ではZERO1-MAX所属選手内での主要タッグパートナー・神風と共に大谷晋二郎田中将斗の炎武連夢と対戦し、久々に「らしい試合」を見せるものの炎武連夢に「もっとはじけろ」「何をしに来てるんだ」と酷評される。

10月に入り新日本とZERO1-MAXの抗争が激化し始めるが、村浜選手は大阪プロレス時代に新日本とは何度も対戦やタッグを組んだりしたため「ZERO1-MAXの選手とやっている方が新鮮」と、まったく干渉しないスタンスを取る。この頃、大阪プロレスを離脱したレフェリー・選手による興行「びっくりプロレス」岸和田大会に参戦、久々に菊タロー(初代えべっさん)と再会し、ミックスドマッチで対戦した。

11月10日、Gammaとのタッグでノンタイトル戦とはいえ日高・藤田とのリベンジマッチを成田大会で行なうが、菅原拓也に乱入され反則負け、Gammaはみちのくプロレスでもタッグを組んでいた菅原とのタッグを表明、村浜選手は1人取り残される結果となった。そして迎えた11月23日後楽園大会、ZERO1-MAX参戦のきっかけとなった靖国神社での因縁の高岩選手とシングルマッチを行なうが膝を一方的に攻められわずか5分でレフェリーストップ負け、長期離脱が避けられない状況となり、FOS社長・中村氏も解雇を示唆した。

2006年2月4日、石巻大会にて復帰も精彩の無い試合としまりのないコンディションにより前座の試合が続き、4月の後楽園大会ではついにダーク・マッチへ降格、出場すらさせてもらえない試合も増え、4月末の契約期間満了をもって事実上、解雇された。これにより、村浜にとっては、シュートボクシング離脱、山本"KID"徳郁戦での敗北に続いて、3度目の転機が訪れていると言える。

K-1 WORLD MAX, HERO'Sへの挑戦 編集

SB離脱後は前述の通り、プロレスラーとして生計を立てていたが、K-1 WORLD MAXへの参戦を表明する。村浜の体格では不利ながらも、SB時代に培った打撃で大活躍し、魔裟斗らを苦しめた。一度目の魔裟斗戦は好試合が多かったその興行の中でもベストバウトとしてあげられる。

2000年9月5日、リングス「BATTLE GENESIS Vol.6」で総合格闘技デビュー。2001年1月8日にはDEEP2001のリングでホイラー・グレイシーと対戦。フラッシュダウンを奪いドローに持ち込む。以後、辰吉丈一郎と激戦を展開したボクシング元世界王者のビクトル・ラバナレスに勝利するなど総合格闘技でも大活躍、そのポテンシャルを示したが、2度に渡るジョン・ホーキへの敗退により一時的に総合格闘技から撤退する。

2004年2月24日、K-1 WORLD MAX 2004 ~日本代表決定トーナメント~ 1回戦で山本"KID"徳郁と対戦。K-1ルール初挑戦のKIDに対し、1Rに1度、2Rに2度ダウンを奪われ、KO負けを喫した。

2005年2月23日、K-1 WORLD MAX 2005 ~日本代表決定トーナメント~ 1回戦でHAYATOにTKO勝ち。準決勝で新田明臣にローキックでスリップ気味のダウンを奪われ判定負け。さらに、2005年7月6日のHERO'Sレミギウス・モリカビュチスに1RKO負けを喫した。

その後 編集

2006年9月24日、立ち技格闘技イベントR.I.S.E.へ出場し、裕樹と対戦したが判定負けを喫した。

2006年10月、プロレス復帰戦としてUWAI STATIONへの参戦が決定していたが、主催者側の都合により大会自体が延期、結局村浜自身にとって久々のプロレスマッチは、2007年1月14日のUWAI STATION福岡大会までずれ込んだ。

2007年にはR.I.S.E.、全日本キックボクシング連盟に参戦するも連敗を重ねた。限界説が囁かれる中、2007年10月28日に古巣のシュートボクシング参戦を果たした。

2008年9月27日、ニュージャパンキックボクシング連盟TOMONORIと対戦し、1-2の判定負けを喫した。

2009年9月28日、「Survivor Round.1」で久保優太と対戦し、1Rに3度のダウンを奪われKO負けを喫した。

2010年3月27日、「K-1 WORLD MAX 2010 ~-70kg Japan Tournament~」のスーパーファイトで小宮山工介と対戦し、TKO負け。この試合よりリングネームを村浜 TAKE HEROと改名した[1]

戦績 編集

キックボクシング 戦績
44試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
2510 15 0 0 0
175 5 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× 小宮山工介 2R 1:49 TKO(タオル投入) K-1 WORLD MAX 2010 ~-70kg Japan Tournament~
【スーパーファイト】
2010年3月27日
× 久保優太 1R 2:43 KO(3ダウン:左ストレート) Survivor Round.1 2009年9月28日
× TOMONORI 3R終了 判定1-2 ニュージャパンキックボクシング連盟
「START OF NEW LEGEND XI ~新しい伝説の始まり~」
2008年9月27日
× 石川剛司 3R終了 判定0-3 SHOOTBOXING BATTLE SUMMIT GROUND ZERO TOKYO 2007 2007年10月28日
× 石川直生 5R終了 判定0-3 全日本キックボクシング連盟
「浪漫」 Kick Return Kickboxer of the best 60 Tournament ~開幕戦~
【Kick Returnトーナメント 1回戦】
2007年8月25日
× 水谷秀樹 3R終了 判定0-2 R.I.S.E. FIREBALL 1 2007年4月12日
× 裕樹 3R終了 判定0-3 R.I.S.E. MIGHTY EIGHTY TOURNAMENT '06 2006年9月24日
× 新田明臣 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2005 ~日本代表決定トーナメント~
【準決勝】
2005年2月23日
HAYATO 3R 1:15 TKO(左ハイキック) K-1 WORLD MAX 2005 ~日本代表決定トーナメント~
【1回戦】
2005年2月23日
× DAVID 3R終了 判定0-3 マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟
「SUPREME-4 梶原一騎18回忌追悼記念 第7回梶原一騎杯 キックガッツ2004」
2004年6月6日
× 山本"KID"徳郁 2R 2:38 KO(2ノックダウン:パンチ連打) K-1 WORLD MAX 2004 ~日本代表決定トーナメント~
【1回戦】
2004年2月24日
× アンディ・サワー 3R終了 判定0-2 K-1 WORLD MAX 2003 ~世界王者対抗戦~ 2003年11月18日
× 魔裟斗 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2002 ~日本代表決定トーナメント~
【準決勝】
2003年3月1日
阿部裕幸 2R 2:48 KO(2ノックダウン:左膝蹴り) K-1 WORLD MAX 2003 ~日本代表決定トーナメント~
【1回戦】
2003年3月1日
メルチョー・メノー 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2002 ~世界王者対抗戦~ 2002年10月11日
× 魔裟斗 3R 0:30 KO(2ノックダウン:右ストレート) K-1 WORLD MAX 2002 ~日本代表決定トーナメント~
【1回戦】
2002年2月11日
ダニー・スティール 5R終了 判定3-0 シュートボクシング 1999年3月10日
× チャモペット・チョーチャモアン 5R終了 判定0-3 シュートボクシング GROUND ZERO TOKYO 1998年11月14日
× グライガンワーン 1R KO シュートボクシング 1998年9月5日
前田辰也 1R KO シュートボクシング 1998年7月17日
若宮一樹 5R終了 判定3-0 シュートボクシング 1998年6月4日
ガウナーソーケッタリンチャン 5R終了 判定3-0 SHOOT THE SHOOTO XX 1998年4月26日
ギルバート・バレンティーニ 5R終了 判定3-0 シュートボクシング 1997年11月29日
佐藤堅一 3R終了 判定3-0 K-1 JAPAN GP 1997 フェザー級トーナメント 決勝 1997年11月9日
前田憲作 3R終了 判定3-0 K-1 JAPAN GP 1997 フェザー級トーナメント 準決勝 1997年11月9日
北岡孝人 1R 3:44 TKO K-1 DREAM '97 1997年7月20日
チャナサック・ニューイッサラー 5R終了 判定3-0 シュートボクシング 1997年5月9日
ベン・ガルーシア 5R終了 判定3-0 シュートボクシング 1997年3月23日
ワンサック・メウグスリン 5R終了 判定3-0 ルンピニー・スタジアム 1996年11月30日
× チャーリー・ジェレミー 2R終了時 TKO シュートボクシング 1996年7月14日
× ガウナー・ソーケッタリンチャン 5R終了 判定0-3 シュートボクシング 1996年6月7日
× カング・トレン 3R 1:53 KO シュートボクシング
【KICK世界スーパーフェザー級タイトルマッチ】
1996年3月17日
× チャモアペット・チョーチャモアン 5R終了 判定1-2 シュートボクシング GROUND ZERO YOKOHAMA 1996年1月27日
マルセル・ドマーニク 1R 1:14 KO シュートボクシング 1995年10月26日
デビット・カミングス 1R 1:36 KO(左膝蹴り) シュートボクシング S-CUP Thunder and lightning
【KICK世界スーパーフェザー級王座決定戦】
1995年8月24日
ボラン・ベラーニ 2R 0:35 TKO シュートボクシング 1995年5月7日
鈴木良周 2R 2:42 TKO シュートボクシング 1995年3月15日
シェーン・スタフォード 判定 シュートボクシング 1995年1月31日
岡本雅弘 2R 2:53 TKO シュートボクシング
【JSBAカーディナル級タイトルマッチ】
1994年11月22日
志波伸悟 判定 シュートボクシング 1994年9月24日
西林誠一郎 判定 シュートボクシング 1994年5月30日
田中秀機 判定 シュートボクシング 1994年3月24日
雨宮栄治 2R 1:04 KO シュートボクシング 1994年1月23日
松浦和希 判定 シュートボクシング 1993年12月6日

総合格闘技 編集

総合格闘技 戦績
(T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
4 3 1 0 0 1 0
4 1 2 1 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
石倉正徳 3R 0:40 KO 大阪プロレス ミラクルマンプロデュース第1回チキチキ・天保山グランプリ2009
天保山ダイナマイト【総合格闘技ルール】
2009年3月29日
× レミギウス・モリカビュチス 1R 1:14 KO(左フック) HERO'S 2005
ミドル級世界最強王者決定トーナメント
【1回戦】
2005年7月6日
× ジェンス・パルヴァー 5分3R終了 判定1-2 UFO LEGEND 2002年8月8日
× ジョン・ホーキ 1R 2:13 腕ひしぎ十字固め DEEP2001 4th IMPACT in NAGOYA 2002年3月30日
ビクトル・ラバナレス 1R 0:40 膝十字固め DEEP2001 3rd IMPACT X'mas in DIFFER ARIAKE 2001年12月23日
× ジョン・ホーキ 1R 4:29 腕ひしぎ十字固め DEEP2001 in YOKOHAMA 2001年8月18日
ブライアン・ローアンユー 1R 4:49 膝十字固め リングス BATTLE GENESIS Vol.7 2001年3月20日
ホイラー・グレイシー 10分2R終了 時間切れ DEEP2001 2001年1月8日
ゲイブ・レムリー 1R 7:13 TKO(アームロック) リングス BATTLE GENESIS Vol.6 2000年9月5日

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集

前王者
岡本雅弘
第7代JSBAカーディナル級王者

1995年11月22日 - 1999年

次王者
前田辰也

Wikipedia 編集

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