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山本 喧一
本名 山本 健一
通称 ヤマケン
性別 男性
国籍 日本
誕生日 1976年7月11日(41歳)
出身地 大阪府門真市
身長 182cm
体重 96kg
リーチ
階級
スタイル 空手
所属 パワー・オブ・ドリーム

山本 喧一(やまもと けんいち、1976年7月11日 - )は、日本総合格闘家プロレスラー。本名は山本 健一(読み同じ)。大阪府門真市出身。パワー・オブ・ドリーム所属。株式会社ウィット代表取締役。

来歴 編集

幼少時代に両親が離婚し、預け先で虐待を受けた。虐待の傷跡は、山本の体に今もなお残っているという。

小学校時代は喧嘩に明け暮れ、手の付けられなかった山本であるが、中学時代に前田日明の自伝『パワー・オブ・ドリーム』を読んだことから空手を始める。プロレスラーになる前は、正道会館の内弟子だったこともある。

1993年UWFインターナショナルに入門し、1994年に本名の山本 健一として桜庭和志戦でデビュー。1995年9月から新日本プロレスとの全面対抗戦が始まると、高山善廣安生洋二と「ゴールデン・カップス」を結成。1996年12月のUインター解散後は後継団体のキングダムを経て、1998年リングスに移籍(3月28日の興行から出場、7月5日付けで正式所属)。だが、検査で頭に透明中隔嚢胞という腫瘍(良性)が発見され、安全面での問題が出てきたことが理由で、1999年1月23日の試合を最後にリングスを退団することになる。退団を機にリングネームを山本 喧一に改名。「UFC 23」で行なわれたUFC-Jミドル級トーナメントに優勝した際、当時のリングスのエース田村潔司に「偽善者田村!俺と闘え!」とガチンコマッチを要求し、物議を醸したこともあった。

格闘技ジム「パワー・オブ・ドリーム」を設立。ジム経営と並行して、素手でのパンチを認めた総合格闘技トーナメント「タイタンファイト」、クラブでDJプレイやライブとともに総合格闘技の試合をし、山本自身が賞金首となってプロ・アマ問わず挑戦を受けるコンセプトの「クラブ・ファイト」を主催する。だが、必要以上のアーティスト参加に対するギャラの高さに対してスポンサーを集めることが出来ず、スタッフの間で利害関係の問題に発展し、やむなく活動休止となり、ジムも閉鎖した。

その後も格闘家としての活動を続け、PRIDEなどに参戦。

ジムを閉鎖してからは、WSR(ウェラサクレック・ムエタイジム)に所属を移し、ムエタイの試合に参戦し、60戦している本場の世界ランカー相手に勝利する。

2005年にアメリカに渡り、更なる修行を重ねる。

2006年6月3日、アメリカの大会「MFCbodogFightに出場。カリーム・エリングトンと対戦し、逆転KO負けを喫した。当時UFCミドル級王者であったリッチ・フランクリンが次期挑戦者候補の山本を視察に来ていた。この試合に負けたことによって、山本のUFCカムバックとタイトルマッチの夢が遠のいた。

2006年11月、bodogペイパービュー放送記念タイトルマッチ挑戦者決定シークレットマッチが日本で行なわれるも2R足の甲を骨折しドクターストップにより敗れた。

その後、アメリカに戻ろうとするが、ビザを頼んでいた弁護士に騙され、オーバーステイとされ強制送還となった。

2008年5月24日、「ハッスル・エイド2008」にてアン・ジョー司令長官率いるゴールデン・カップスのセコンドとして姿を現す。

諸事情により休止していた「タイタンファイト」を、2009年に9年ぶりにプロデュース、復活させた。タイタンファイトの主催会社である株式会社ウィットの代表取締役を務めており、実業家としての顔も持っている。

2010年12月17日、アパッチプロレス軍でプロレス復帰。

2011年8月1日、北海道札幌市にパワーオブドリームの常設道場をオープンした。

2011年10月15日、約5年ぶりの復帰戦となったGRABAKA自主興行「GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACK」のメインイベントで菊田早苗と対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した。菊田とは、UWFインターナショナルの入団テストとしてスパーリングを行なった際に腕を骨折させ菊田がプロレスラーを諦めた、という因縁があった[1]

戦績 編集

勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× 菊田早苗 1R 2:18 TKO(パウンド) GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACK 2011年10月15日
× ディエゴ・ヴィトスキー 2R TKO(タオル投入) MARS BodogFight 01 2006年10月4日
× カリエム・エリングトン 1R 4:51 TKO(パウンド) MFC 7 - USA vs. Russia 3 2006年6月3日
ゲルマン・レイエス 2R KO(左ハイキック) 琉球 Kamikaze Spirits【総合格闘技ルール】 2005年11月13日
× 美濃輪育久 1R 3:23 KO(パウンド) PRIDE 武士道 -其の四- 2004年7月19日
× アレクサンダー大塚 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 PRIDE.25 2003年3月16日
× ケビン・ランデルマン 3R 1:16 TKO(グラウンドでの膝蹴り) PRIDE.23 2002年11月24日
× 須藤元気 2R 2:46 チョークスリーパー リングス WORLD TITLE SERIES 2001年12月21日
保村晃 10分終了 ドロー Club Fight NAGOYA 2001年3月4日
秋山賢治 10分終了 ドロー Club Fight OSAKA 2001年1月27日
× パット・ミレティッチ 2R 1:58 フロントチョーク UFC 29: Defense of the Belts
【UFC世界ライト級タイトルマッチ】
2000年12月16日
倉橋達也 8:00 KO(マウントパンチ) Club Fight Round 1 2000年11月12日
藤井克久 2R 4:13 膝十字固め UFC 23: Ultimate Japan 2
【UFC-Jミドル級トーナメント 決勝】
1999年11月19日
高瀬大樹 5分2R終了 判定3-0 UFC 23: Ultimate Japan 2
【UFC-Jミドル級トーナメント 1回戦】
1999年11月19日
× ウィリー・ピータース 1R 13:45 TKO(膝蹴り) リングス WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1998
~第1回国別対抗戦FNRカップ~ GRAND-FINAL
1999年1月23日
× 田村潔司 1R 11:26 TKO(右ハイキック) リングス WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1998
~第1回国別対抗戦FNRカップ~ SEMI-FINAL
1998年12月23日
× リー・ハスデル 10:56 KO リングス FIGHTING INTEGRATION 6th 1998年9月21日
× 坂田亘 20分終了 ポイント リングス FIGHTING INTEGRATION 5th 1998年8月28日
× ヴォルク・ハン 8:24 逆片エビ固め リングス CAPTURED ~AKIRA MAEDA LAST MATCH~ 1998年7月20日
× 成瀬昌由 11:07 アームロック リングス FIGHTING INTEGRATION 4th
【トーナメント21 タイトルマッチ】
1998年6月27日
× 高阪剛 9:15 膝十字固め リングス Battle Genesis Vol.4 1998年6月20日
× クリストファー・ヘイズマン 5:35 腕ひしぎ十字固め リングス・オーストラリア「Who Needs Rules Fight Night」 1998年6月7日
クリストファー・ヘイズマン 12:39 裸絞め リングス FIGHTING INTEGRATION 3rd
【トーナメント21 次期挑戦者決定戦】
1998年5月29日
× ヴァレンタイン・オーフレイム 6:39 TKO(タオル投入) リングス FIGHTING INTEGRATION 1st 1998年3月28日

TIPS 編集

  • 2001年12月に、須藤元気リングスのリングで試合を行なったことがある。山本の通常体重は96kgであるが、この試合のために75kgにまで減量。さらにこの試合では山本が保持していた「UFC-JAPAN」(UFCの認定タイトルではなく、現在活動停止中のUFC-JAPANが制定したベルト)のベルトが賭けられた。試合は裸絞めで山本が敗北し、ベルトは須藤に奪われた。
  • 所英男は「パワー・オブ・ドリーム」時代の弟子に当たる。ジムを閉鎖したことによりその関係は途絶えてしまったが、所は「今でも山本さんを尊敬しているし感謝している」と述べている。

人物 編集

  • 総合格闘家であるが立ち技にも適応でき、ムエタイの試合に出場し勝利を収めるほどである(2004年WPKC世界ヘビー級4位)。総合格闘技での試合においても、ムエタイ・キックボクシング用のトランクスを着用し、ムエタイ式の構え方をするなど、他のファイターには無い個性的な一面を持つ。
  • アメリカに渡り、柔術にも磨きをかけて、ヘンゾ・グレイシー一派であり、アメリカ人で初めて黒帯を取得したショーン・ウィリアムス(ホドリゴ・グレイシーを鍛え、ホドリゴが兄と慕うことで有名)から茶帯の資格を取得し、USオープングラップリングファイトでは準優勝を収めた。

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集

Wikipedia 編集

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