佐竹 雅昭 | |
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本名 | 佐竹 雅昭 |
通称 | 世紀末覇王 さたやん 怪獣王子 |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1965年8月17日(58歳) |
出身地 | 大阪府吹田市 |
身長 | 185cm |
体重 | 107kg |
リーチ | |
階級 | ヘビー級(ISKA) |
スタイル | フルコンタクト空手 |
所属 | 正道会館 →総合打撃道 佐竹道場 |
佐竹 雅昭(さたけ まさあき、1965年8月17日 - )は、日本の空手家、キックボクサー、総合格闘家。大阪府吹田市出身。
K-1創成期を盛り上げた立役者。1990年代空手、K-1の他リングスをはじめとした格闘プロレスに参戦する傍ら、芸能活動も行なっていた。
自ら造った言葉「闘志天翔」(運命を己で切り開き、人生という闘いを通して更なる高みを目指す意味)を座右の銘とする。
来歴[]
中学時代に大山倍達の著書に感銘を受け空手の道を志す。17歳時に大阪天満にある正道会館総本部に入門し、2年で黒帯を取得した。正道会館入門前に福島区にあった極真会館関西本部に入門していたが、「道場の空気が肌に合わない」という理由で1か月で退会している。
大学在学中に全日本空手道選手権大会に出場し、4回生時(1987年)に初優勝。大学卒業後、正道会館の職員となった。
1991年からリングスに参戦し、本格的にプロ格闘家として活動を始める。1992年のリングスMEGA-BATTLE TOURNAMENT '92に出場し、1回戦で長井満也にKO勝ちしたものの、練習中に右胸骨を骨折し、2回戦を欠場。1992年11月13日のリングス大会でリング上から挨拶を行った。これを最後にリングス参戦は終了した。
その後正道会館が立ち上げた格闘技イベント「K-1」の旗揚げに関わり、中心選手として精力的に活動する。
1993年6月25日、ドン・中矢・ニールセン(アメリカ)との王座決定戦で1R2分30秒でTKO勝ちし、UKF世界ヘビー級王者のタイトルを獲得。
1993年9月4日、佐竹の持つUKF世界ヘビー級タイトルとスタン・ザ・マンの持つWKA世界スーパーヘビー級タイトルのダブルタイトル戦で3-0判定勝ち(WKAルールではなかったため、タイトルは移動せず)。
1993年12月19日、「K-2 GRAND PRIX '93 風林火山 "山の章"」に参戦。スペシャルマッチ(3分5R)KICK世界スーパーヘビー級&ISKAオリエンタル世界ヘビー級王座決定戦でジェフ・フォーランスを2R1分28秒TKO勝ちを収め、両王座を獲得した。
1994年4月30日、K-1 GRAND PRIX '94で決勝に進出するも、ピーター・アーツに判定で敗れ準優勝。
1995年5月4日、K-1 GRAND PRIX '95の準々決勝でジェロム・レ・バンナにKO負けを喫した。
1996年10月18日、K-1 STAR WARS '96で1年半ぶりに復帰するも、アンディ・フグに判定負けを喫した。
1999年10月5日、K-1 GRAND PRIX '99の1回戦で武蔵と対戦し、ダウンを奪うも判定負け。その直後リングサイドにいた石井和義館長と激しい口論を交わした。この敗戦を最後にK-1および正道会館から離脱。
2000年よりPRIDEに参戦。
2002年4月28日、PRIDE.20でクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦し、ジャーマン・スープレックス気味に投げられKO負けとなった。この投げで頭蓋骨骨折し病院で開頭手術を受け、背骨にもヒビが入る重傷を負った。
2002年11月17日、K-1主催のプロレスイベントWRESTLE-1にリングネーム「SATA...yarn」(さたやん)としてプロレスデビュー。アブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦し、大回転チョップなどを繰り出すも、毒針エルボーからの体固めで敗退した。
2002年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002で吉田秀彦と対戦し、フロントチョークで一本負け。この試合をもってプロ格闘家としての現役を退く。
2003年1月19日、WRESTLE-1でアブドーラ・ザ・ブッチャーと再戦し、またしても毒針エルボーからの体固めで敗退した。
2003年に「総合打撃道」を掲げ、京都府京都市内に佐竹道場を構える。
2007年、京都の企業・会社・医院などの経営者を対象に人間活学塾「平成武師道」を設立し、同塾の総長を務める。
人物[]
- ゴジラなど怪獣映画・特撮の大ファンとして知られている。その中でもゴジラについては『怪獣大戦争』のメインテーマ『怪獣大戦争マーチ』を入場テーマにするほどの熱烈なファンである。『爆竜戦隊アバレンジャー』に格闘家役でゲスト出演も果たした。
主な戦績[]
総合格闘技[]
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | 吉田秀彦 | 1R 0:50 フロントチョーク | INOKI BOM-BA-YE 2002 | 2002年12月31日 |
× | クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン | 1R 7:07 KO(スラム) | PRIDE.20 | 2002年4月28日 |
△ | サム・グレコ | 3分5R終了 | INOKI BOM-BA-YE 2001 | 2001年12月31日 |
× | セーム・シュルト | 1R 2:18 TKO(グラウンドでのパンチ) | PRIDE.17 | 2001年11月3日 |
× | イゴール・ボブチャンチン | 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 | PRIDE.15 | 2001年7月29日 |
× | 安田忠夫 | 3R(10分/5分/5分)終了 判定1-2 | PRIDE.13 | 2001年3月25日 |
× | 小川直也 | 2R 2:01 スリーパーホールド | PRIDE.11 | 2000年10月31日 |
○ | 村上一成 | 1R 6:58 TKO(グラウンドでのパンチ) | PRIDE.10 | 2000年8月27日 |
○ | ポドリャチン・デニス | 3分3R終了 判定3-0 | ULTIMATE BOXING 旗揚げ戦 | 2000年6月11日 |
× | ガイ・メッツァー | 10分2R終了 判定0-3 | PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦 | 2000年5月1日 |
× | マーク・コールマン | 1R 1:14 ネックロック | PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦 | 2000年1月30日 |
× | ヘルマン・レンティング | 不戦敗(右胸骨骨折) | リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT '92 2nd Round 【トーナメント 2回戦】 |
1992年11月13日 |
○ | 長井満也 | 1R 1:24 KO | リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT '92 1st round 【トーナメント 1回戦】 |
1992年10月29日 |
△ | ロブ・カーマン | 3分5R終了 時間切れ | リングス MEGA BATTLE SPECIAL 礎~ISHIZUE【グローブマッチ】 | 1992年8月21日 |
○ | ピーター・ウラ | 4R 1:02 KO | リングス MEGA BATTLE 6th. 颯~HAYATE【グローブマッチ】 | 1992年7月16日 |
△ | ウィリー・ピータース | 3分5R+延長R終了 時間切れ | リングス MEGA BATTLE 5th. 獅子吼~SHI SHI KU | 1992年6月25日 |
○ | バート・コップスJr | 2R 2:09 KO | リングス MEGA BATTLE 4th. 光臨~KOHRIN リングス旗揚げ1周年記念大会 | 1992年5月16日 |
○ | ヘルマン・レンティング | 7:29 KO | リングス MEGA BATTLE 3rd. 雷~IKAZUCHI | 1992年4月3日 |
○ | フレッド・オーストロン | 6:22 KO | リングス MEGA-BATTLE 2nd. 息・吹~IBUKI | 1992年3月5日 |
○ | ジェラルド・ゴルドー | 2R 2:13 反則 | リングス MEGA-BATTLE 1st. 回天~KAITEN | 1992年1月25日 |
キックボクシング(K-1含む)[]
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | 武蔵 | 5R終了 判定0-3 | K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦 【1回戦】 |
1999年10月5日 |
○ | ゲーリー・グッドリッジ | 3R 2:47 KO(左ローキック) | K-1 SPIRITS '99 ~魂の戦い~ | 1999年8月22日 |
○ | ヨッキ・オバーホルツァー | 3R 2:19 TKO(右ローキック) | K-1 BRAVES '99 ~グランプリへの道~ | 1999年6月20日 |
× | マイク・ベルナルド | 5R終了 判定0-3 | K-1 REVENGE '99 | 1999年4月25日 |
× | ピーター・アーツ | 1R 2:40 TKO(左膝蹴り) | K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦 【準々決勝】 |
1998年12月13日 |
○ | グラウベ・フェイトーザ | 5R終了 判定2-0 | K-1 GRAND PRIX '98 開幕戦 【1回戦】 |
1998年9月27日 |
○ | 中迫剛 | 3R終了 判定2-0 | K-1 BUSHIDO '98 【JAPAN GP 決勝】 |
1998年8月28日 |
○ | 大石亨 | 2R 2:03 KO(左ミドルキック) | K-1 BUSHIDO '98 【JAPAN GP 準決勝】 |
1998年8月28日 |
○ | 安生洋二 | 2R 1:02 TKO(右ハイキック) | K-1 BUSHIDO '98 【JAPAN GP 1回戦】 |
1998年8月28日 |
× | マット・スケルトン | 1R 2:06 TKO(左ストレート) | K-1 DREAM '98 | 1998年7月18日 |
△ | 武蔵 | 5R終了 判定0-0 | K-1 BRAVES '98 | 1998年5月24日 |
△ | モーリス・スミス | 5R終了 判定0-0 | K-1 KINGS '98 | 1998年4月9日 |
× | アンディ・フグ | 1R 0:15 KO(左ハイキック) | K-1 GRAND PRIX '97 決勝戦 【準々決勝】 |
1997年11月9日 |
○ | ジャン・リビエール | 再延長R終了 判定3-0 | K-1 GRAND PRIX '97 開幕戦 【1回戦】 |
1997年9月7日 |
○ | 鈴木政司 | 4R 1:17 TKO(タオル投入) | K-1 DREAM '97 【JAPAN GP 決勝】 |
1997年7月20日 |
○ | 阿部修司 | 3R終了 判定3-0 | K-1 DREAM '97 【JAPAN GP 準決勝】 |
1997年7月20日 |
○ | 清原定一 | 1R 1:33 TKO(右ストレート) | K-1 DREAM '97 【JAPAN GP 1回戦】 |
1997年7月20日 |
○ | カークウッド・ウォーカー | 5R終了 判定3-0 | K-1 FIGHT NIGHT '97 ~THE DECISION~ | 1997年6月7日 |
× | マイク・ベルナルド | 2R 1:24 TKO(右フック) | K-1 KINGS '97 | 1997年3月16日 |
× | アンディ・フグ | 5R終了 判定0-3 | K-1 STAR WARS '96 | 1996年10月18日 |
× | ジェロム・レ・バンナ | 3R 2:32 KO(左フック) | K-1 GRAND PRIX '95 【準々決勝】 |
1995年5月4日 |
○ | キモ | 2R 2:27 TKO(左ミドルキック) | K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦 【1回戦】 |
1995年3月3日 |
× | サム・グレコ | 2R 1:27 KO(右フック) | K-1 LEGEND 乱 | 1994年12月10日 |
○ | ギャリー・サンドランド | 2R 2:28 TKO(左ミドルキック) | KARATE WORLD CUP '94 【スペシャルワンマッチ】 |
1994年10月2日 |
○ | デニス"ハリケーン"レーン | 2R 1:38 TKO(右ローキック) | K-1 REVENGE 【WKA世界スーパーヘビー級タイトルマッチ】 |
1994年9月18日 |
× | ピーター・アーツ | 3R終了 判定0-3 | K-1 GRAND PRIX '94 【決勝】 |
1994年4月30日 |
○ | ブランコ・シカティック | 3R終了 判定2-0 | K-1 GRAND PRIX '94 【準決勝】 |
1994年4月30日 |
○ | マイケル・トンプソン | 3R 0:34 TKO(左膝蹴り) | K-1 GRAND PRIX '94 【1回戦】 |
1994年4月30日 |
× | アーネスト・ホースト | 2R 2:45 KO(左ハイキック) | K-1 CHALLENGE | 1994年3月4日 |
○ | ジェフ・フォーランス | 2R 1:28 TKO(パンチ連打) | K-2 GRAND PRIX '93 風林火山 "山の章" 【KICK世界スーパーヘビー級王座決定戦 &ISKAオリエンタル世界ヘビー級王座決定戦】 |
1993年12月19日 |
○ | スタン・ザ・マン | 5R終了 判定3-0 | K-1 ILLUSION 風林火山 "林の章" 【UKF世界ヘビー級タイトルマッチ】 |
1993年9月4日 |
○ | ドン・中矢・ニールセン | 1R 2:30 TKO(右フック) | 聖戦 ~SANCTUARY III~ 風林火山 "風の章" 【UKF世界ヘビー級王座決定戦】 |
1993年6月25日 |
× | ブランコ・シカティック | 3R 0:45 KO(左フック) | K-1 GRAND PRIX '93 【準決勝】 |
1993年4月30日 |
○ | トド"ハリウッド"ヘイズ | 2R 0:45 KO(右ローキック) | K-1 GRAND PRIX '93 【1回戦】 |
1993年4月30日 |
○ | クリス・ブランネル | 2R 1:39 KO(右フック) | 聖戦 ~SANCTUARY I~ | 1993年3月30日 |
△ | ピーター・アーツ | 引き分け | 格闘技オリンピックIII ~カラテワールドカップ '92~ | 1992年10月4日 |
○ | アマッド・モハメッド | 1R KO | 闘志天翔 ~格闘技オリンピックII~ | 1992年7月30日 |
○ | ドン・中矢・ニールセン | 1R KO | 全日本キックボクシング連盟「INSPIRING WARS HEAT」 | 1990年6月30日 |
空手[]
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | アンディ・フグ | 延長R終了 試し割り判定9-8 | カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章" 【決勝】 |
1993年10月3日 |
○ | 金泰泳 | 延長R 0:43 左上段膝蹴り | カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章" 【準決勝】 |
1993年10月3日 |
○ | アダム・ワット | 再延長R終了 判定3-0 | カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章" 【準々決勝】 |
1993年10月3日 |
○ | パトリック・スミス | 本戦 1:16 右中段突き | カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章" 【1回戦】 |
1993年10月3日 |
△ | ハンス・ナイマン | 2分5R終了 引き分け | リングス ASTRAL STEP FINAL BLAZE UP 炎上 【正道会館空手ルール】 |
1991年12月7日 |
○ | ウィリー・ウィリアムス | 判定3-0 | USA大山空手vs正道空手5対5マッチ | 1991年6月4日 |
ミックス(空手&キック)ルール[]
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
△ | モーリス・スミス | 4R終了 判定なし | 硬派er ~格闘技オリンピックI~ | 1992年3月26日 |
獲得タイトル[]
- 空手
- 第3回全日本空手道選手権大会 第4位(1984年)正道会館主催(関西外語大学一回生時・初出場)
- 第4回全日本空手道選手権大会 準優勝(1985年)正道会館主催(関西外語大学二回生時)
- 第5回全日本空手道選手権大会 準優勝(1986年)正道会館主催(関西外語大学三回生時)
- 第6回全日本空手道選手権大会 優勝(1987年)正道会館主催(関西外語大学四回生時・初優勝)
- 第7回全日本空手道選手権大会 優勝(1988年)正道会館主催(2連覇)
- 第8回全日本空手道選手権大会 優勝(1989年)正道会館主催(3連覇)
- 第8回ストロングオープントーナメント重量級 優勝(1988年)士道館主催
- 第1回リアル空手トーナメント 準優勝(1988年)
- 第2回リアル空手トーナメント 優勝(1989年)
- 第1回トーワ杯カラテジャパンオープントーナメント選手権大会 優勝(1992年)
- 第2回トーワ杯カラテジャパンオープントーナメント選手権大会 優勝(1993年)
- カラテワールドカップ'93 優勝(1993年)
- キックボクシング(K-1含む)
芸能活動[]
映画[]
- 1・2の三四郎(主演)(東宝、1995年7月15日)
- 極道甲子園(映画)RIKIプロジェクト(2004年4月25日)
テレビドラマ[]
- 金田一少年の事件簿「金田一少年の殺人」(針生聖典役)
- 聖龍伝説(幻龍三鬼神・雷神役)
テレビアニメ[]
- バトルファイターズ 餓狼伝説(ジョー・ヒガシ役)
特撮[]
- 爆竜戦隊アバレンジャー(トリノイド2号ヒルリンドウの声、人間体役)
ラジオ[]
- 佐竹雅昭の平成武師道 俺たちの背中を見ろ!(Kiss FM KOBE 89.9)
- SNK一撃!ネオ・ラジオ(MBS毎日放送)
- 佐竹雅昭の覇王塾|佐竹・林原の覇王塾(以降『-覇王塾F』→『-無法塾』→『-阿呆塾』とタイトル変更)
- 佐竹雅昭の暁の黒海老団
音楽[]
- 覇王咆哮(佐竹雅昭 with 林原めぐみ名義)CDアルバム。全9曲中6曲ボーカル、1曲林原めぐみとのデュエット。エース清水(聖飢魔II)プロデュース。
その他[]
- 天使万歳(1992年 - 1998年、1993年からは「天使万歳 ふたたび」、ゲーメスト連載コラム)
- ゴジラ海を渡る 世界制覇へのシナリオ(1998年)
脚注[]
関連項目[]
- ジャイアント落合(佐竹がPRIDEに参戦するようになってから結成したチーム「怪獣王国」に所属していた)
外部リンク[]
前優勝者 |
第1回トーワ杯カラテジャパンオープン優勝 1992年1月30日 |
次優勝者 佐竹雅昭 |
前優勝者 佐竹雅昭 |
第2回トーワ杯カラテジャパンオープン優勝 1993年1月31日 |
次優勝者 後川聡之 |
Wikipedia[]
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