Bout Wiki
Advertisement
ダン・ヘンダーソン
本名 ダニエル・ジェフリー・ヘンダーソン
(Daniel Jeffery Henderson)[1]
通称 ヘンドー(Hendo)
ダンヘン
デンジャラス
ハリウッド
THE アメリカン・アスリート
PRIDEダブルクラウン
性別 男性
国籍 アメリカ合衆国
誕生日 1970年8月24日(53歳)
出身地 カリフォルニア州リバーサイド郡
身長 185cm
体重 84kg
リーチ 188cm
階級 ミドル級ライトヘビー級
スタイル グレコローマン・レスリング
所属 チーム・クエスト

ダン・ヘンダーソンDan Henderson1970年8月24日 - )は、アメリカ合衆国の総合格闘家。カリフォルニア州リバーサイド郡出身。チーム・クエスト所属。

獲得タイトル[]

来歴[]

カリフォルニア州アップルバレーで生まれ、5歳のときからレスリングを始める。ビクターバレー高校に進学した後、カリフォルニア州レスリング選手権で2度メダルを獲得した。その後、カリフォルニア州立大学フラトン校やアリゾナ州立大学でレスリングを学び、1993年には全米大学体育協会(NCAA)主催の大学レスリング選手権に出場した。また、グレコローマン・レスリング選手として2度のオリンピック出場を果たし、1992年のバルセロナオリンピックでは82kg級10位、1996年のアトランタオリンピックでは同級12位という成績を残した。しかし、実生活では電気代が払えないほど貧窮し、賞金稼ぎのためにレスリングと並行して総合格闘技を行なうようになった(その後、総合格闘技に専念)。2000年に開催されたシドニーオリンピックには85kg級での出場を目指していたが、叶わなかった。ロシアには旧ソ連時代から、大会参加や練習のために渡っていた。本人によれば17~18回ほど行ったことがあり、17歳のときに初めて渡ったという。自身初の総合格闘技のタイトルは、1997年にブラジルで開催された「ブラジル・オープン・ファイト」というライト級での4人制トーナメントでの優勝だった[2][3]

1997年10月11日、アメリカ合衆国アイオワ州で開催された組み技限定の格闘技イベント「The Contenders」でフランク・シャムロックと対戦。開始56秒、アンクルホールドで一本負けを喫した。

1998年5月15日、UFC初参戦となった「UFC 17」で行なわれたUFCミドル級(現ライトヘビー級)トーナメントにおいて、アラン・ゴエスカーロス・ニュートンに判定勝ちし優勝を果たした。

1999年10月28日、リングスKOKトーナメントに参戦。予選Aブロックで、ゴキテゼ・バクーリ金原弘光に勝利した。

2000年2月26日、リングスKOKトーナメント決勝ラウンドで、ギルバート・アイブルアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラレナート・ババルとすべて判定勝ちし、優勝を果たした。

2000年12月23日、PRIDE初参戦となった「PRIDE.12」でヴァンダレイ・シウバと対戦し、シウバをKO寸前まで追い詰めるも、0-3の判定負け。キャリア初黒星となった。

その後、PRIDEにおいてヘンゾ・グレイシームリーロ・ニンジャなどに勝利。

2003年11月9日、「PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦」のミドル級GPリザーブマッチでムリーロ・ブスタマンチに、パウンドによるTKO勝ちを収めた。

2005年4月23日、「PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦」のミドル級GP1回戦でアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラに一本負けを喫した。

その後、本来の階級であるウェルター級(83kg級)に転向。2005年9月25日、ウェルター級GPに参加。1回戦で長南亮にKO勝ち、続いて行なわれた準決勝でも郷野聡寛をKOで破り、ウェルター級GP決勝に進出、2005年12月31日の「PRIDE 男祭り 2005」でムリーロ・ブスタマンチに2-1の判定勝ちを収め優勝。その後、2006年3月31日に正式な認定を得て、初代PRIDEウェルター級王者となった。

2006年に行なわれた「PRIDE ウェルター級GP 2006」では、8月26日、シード参戦で挑んだ2回戦で三崎和雄に0-3の判定負けを喫した。

2007年2月24日、「PRIDE.33」にてヴァンダレイ・シウバをKOで破りミドル級王座を獲得、PRIDE史上初の2階級王者となった。

2007年5月26日の「UFC 71」に来場。ライトヘビー級王者クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンの持つ王座への挑戦を表明し、ジャクソンもこれを快諾。2007年9月8日、「UFC 75」でのライトヘビー級王座戦では0-3の判定負けを喫し、王座獲得ならず。また、この試合でUFC・PRIDEのライトヘビー級王座が統一され、PRIDEミドル級王座は消滅した。

従来のライトヘビー級からミドル級へ階級を下げ、2008年3月1日の「UFC 82」でアンデウソン・シウバとUFC世界ミドル級・PRIDEウェルター級王座統一戦で対戦。チョークスリーパーで敗れ、PRIDEウェルター級王座を失った。この試合はファイト・オブ・ザ・ナイトとなった。

2008年9月6日、「UFC 88」でホジマール・パリャーレスに3-0の判定勝ち。「UFC 17」以来、10年3か月ぶりのUFCでの勝利であった[4]

2009年、リアリティ番組「The Ultimate Fighterシーズン9にてチームUSのコーチを務め、7月11日の「UFC 100」ではチームUKのコーチであったマイケル・ビスピンと対戦。右フックでダウンを奪った直後の飛び込みながらのパウンドでKO勝ちを収め、ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[5]

その後、UFCとの契約交渉がまとまらず、2009年12月に競合団体Strikeforceと契約した[6]

2010年4月17日、「Strikeforce: Nashvilleのメインイベントでジェイク・シールズ」の持つ世界ミドル級王座に挑戦。1Rにはパンチでダウンを奪ったが2R以降は優位なポジションを取られ続け、0-3の判定負けで王座獲得ならず[7]

2010年12月4日、「Strikeforce: Henderson vs. Babalu 2」のメインイベントでレナート・ババルと対戦し、パウンドによるKO勝ちを収めた[8]

2011年3月5日、「Strikeforce: Feijao vs. Henderson」のメインイベントでStrikeforce世界ライトヘビー級王者ハファエル・カバウカンチに挑戦し、右ストレートでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ちを収め王座を獲得した[9]

2011年7月30日、「Strikeforce: Fedor vs. Henderson」のメインイベントでエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦し、パウンドによるTKO勝ち[10]。この試合はヘビー級契約で行なわれたが、前日計量時にヘンダーソンが207ポンド、ヒョードルが223ポンドと16ポンド(7.26kg)の体重差があった[11]

2011年11月19日、「UFC 139」のメインイベントでマウリシオ・ショーグンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[12]

戦績[]

総合格闘技[]

総合格闘技 戦績
37 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
29 14 1 14 0 0 0
8 0 3 5 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
マウリシオ・ショーグン 5分5R終了 判定3-0 UFC 139: Shogun vs. Henderson 2011年11月19日
エメリヤーエンコ・ヒョードル 1R 4:12 TKO(パウンド) Strikeforce: Fedor vs. Henderson 2011年7月30日
ハファエル・カバウカンチ 3R 0:50 TKO(右ストレート→パウンド) Strikeforce: Feijao vs. Henderson
【Strikeforce世界ライトヘビー級タイトルマッチ】
2011年3月5日
レナート・ババル 1R 1:53 TKO(パウンド) Strikeforce: Henderson vs. Babalu 2 2010年12月4日
× ジェイク・シールズ 5分5R終了 判定0-3 Strikeforce: Nashville
【Strikeforce世界ミドル級タイトルマッチ】
2010年4月17日
マイケル・ビスピン 2R 3:20 KO(右フック→パウンド) UFC 100 2009年7月11日
リッチ・フランクリン 5分3R終了 判定2-1 UFC 93: Franklin vs. Henderson 2009年1月17日
ホジマール・パリャーレス 5分3R終了 判定3-0 UFC 88: Breakthrough 2008年9月6日
× アンデウソン・シウバ 2R 4:52 チョークスリーパー UFC 82: Pride of a Champion
【UFC世界ミドル級・PRIDEウェルター級王座統一戦】
2008年3月1日
× クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン 5分5R終了 判定0-3 UFC 75: Champion vs. Champion
【UFC世界ライトヘビー級・PRIDEミドル級王座統一戦】
2007年9月8日
ヴァンダレイ・シウバ 3R 2:08 KO(左フック) PRIDE.33 "THE SECOND COMING"
【PRIDEミドル級王座戦】
2007年2月24日
ビクトー・ベウフォート 5分3R終了 判定3-0 PRIDE.32 "THE REAL DEAL" 2006年10月21日
× 三崎和雄 2R(10分/5分)終了 判定0-3 PRIDE 武士道 -其の十二-
【ウェルター級GP 2回戦】
2006年8月26日
三崎和雄 2R(10分/5分)終了 判定3-0 PRIDE 武士道 -其の拾- 2006年4月2日
ムリーロ・ブスタマンチ 2R(10分/5分)終了 判定2-1 PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI-
【ウェルター級GP 決勝】
2005年12月31日
郷野聡寛 1R 7:58 KO(パンチ) PRIDE 武士道 -其の九-
【ウェルター級GP 準決勝】
2005年9月25日
長南亮 1R 0:22 KO(パンチ) PRIDE 武士道 -其の九-
【ウェルター級GP 1回戦】
2005年9月25日
× アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ 1R 8:05 腕ひしぎ十字固め PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦
【ミドル級GP 1回戦】
2005年4月23日
近藤有己 3R(10分/5分/5分)終了 判定2-1 PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- 2004年12月31日
中村和裕 1R 1:15 TKO(左肩脱臼) PRIDE.28 2004年10月31日
ムリーロ・ブスタマンチ 1R 0:53 TKO(パウンド) PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦
【ミドル級GP リザーブマッチ】
2003年11月9日
大山峻護 1R 3:27 KO(パウンド) PRIDE.25 2003年3月16日
× アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ 3R 1:49 腕ひしぎ十字固め PRIDE.24 2002年12月23日
× ヒカルド・アローナ 3R(10分/5分/5分)終了 判定1-2 PRIDE.20 2002年4月28日
ムリーロ・ニンジャ 3R(10分/5分/5分)終了 判定2-1 PRIDE.17 2001年11月3日
小路晃 3R 3:18 TKO(グラウンドでの膝蹴り) PRIDE.14 2001年5月27日
ヘンゾ・グレイシー 1R 1:40 KO(パンチ) PRIDE.13 2001年3月25日
× ヴァンダレイ・シウバ 10分2R終了 判定0-6 PRIDE.12 2000年12月23日
レナート・ババル 5分2R終了 判定2-1 リングス KING OF KINGS 1999 GRAND FINAL
【決勝】
2000年2月26日
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ 5分2R+延長R終了 判定2-1 リングス KING OF KINGS 1999 GRAND FINAL
【準決勝】
2000年2月26日
ギルバート・アイブル 5分2R終了 判定3-0 リングス KING OF KINGS 1999 GRAND FINAL
【準々決勝】
2000年2月26日
金原弘光 5分2R終了 判定2-1 リングス KING OF KINGS 1999 Aブロック
【2回戦】
1999年10月28日
ゴギテゼ・バクーリ 1R 2:17 TKO リングス KING OF KINGS 1999 Aブロック
【1回戦】
1999年10月28日
カーロス・ニュートン 15分1R終了 判定2-1 UFC 17: Redemption
【ミドル級トーナメント 決勝】
1998年5月15日
アラン・ゴエス 15分1R終了 判定3-0 UFC 17: Redemption
【ミドル級トーナメント 1回戦】
1998年5月15日
エリック・スミス 1R 0:30 フロントチョーク Brazil Open '97
【ライト級トーナメント 決勝】
1997年6月15日
クレシオ・デ・スーザ 1R 5:25 TKO Brazil Open '97
【ライト級トーナメント 1回戦】
1997年6月15日

グラップリング[]

勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× フランク・シャムロック 1R 0:56 アンクルロック The Contenders 1997年10月11日

脚注[]

関連項目[]

外部リンク[]

前王者
 
初代PRIDEウェルター級王者

2006年3月31日 - 2008年3月1日

次王者
王座消滅
前王者
ヴァンダレイ・シウバ
第2代PRIDEミドル級王者

2007年2月24日 - 2007年9月8日

次王者
王座消滅
前王者
ハファエル・カバウカンチ
第6代Strikeforce世界ライトヘビー級王者

2011年3月5日 - 現在

次王者
 

Wikipedia[]

Smallwikipedialogo.png このページには、クリエイティブ・コモンズでライセンスされたウィキペディアの記事が使用され、それをもとに編集がなされています。
使用された記事はダン・ヘンダーソンにあり、その著作権者のリストはページの履歴に記録されています。
Advertisement