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タンク・アボット
本名 デイヴィッド・リー・アボット
(David Lee Abbott)
通称 タンク(戦車)
喧嘩屋
性別 男性
国籍 アメリカ合衆国
誕生日 1965年4月26日(58歳)
出身地 カリフォルニア州ハンティントンビーチ
身長 183cm
体重 113kg
リーチ
階級 ヘビー級UFCPRIDE
スタイル ピットファイティング
所属

デイヴィッド・"タンク"・アボットDavid "Tank" Abbott1965年4月26日 - )は、アメリカ合衆国総合格闘家プロレスラーカリフォルニア州ハンティントンビーチ出身。

来歴[]

アメリカンフットボールコーチであった父親の影響で5歳の頃からアメリカンフットボールを始め、9歳になるとレスリングを始めた。中学時にレスリングでオールアメリカンに選抜されたこともあるが、交通事故で左膝に大怪我を負いその道を断念した。高校入学後、金を賭けるストリートファイト「ピットファイティング」を行うようになり、本人曰く、負けることはほとんどなかったという[1]

カリフォルニア州立大学ロングビーチ校卒業後、働きながらもストリートファイトに明け暮れる生活を送っていたが、逮捕され刑務所に入れられた。刑務所でストリートファイト時代に名を馳せていたキモ・レオポルドUFC 3ホイス・グレイシーを追い込んだことに刺激を受け、UFC参戦を決意した[1]

1995年7月14日、UFC 6トーナメントに「喧嘩150戦無敗」のキャッチフレーズでUFC初参戦。身長188cm、体重181kgのジョン・マチューアを開始20秒で失神KOした。決勝ではオレッグ・タクタロフサンボテクニックの前に敗れ、優勝を逃すも勝ったタクタロフに一人では起き上がれないほどの深いダメージを与え、一夜にして人気者となった。

1995年12月16日、Ultimate Ultimate 1995トーナメント1回戦ではUFC 3優勝者で現役警察官のスティーブ・ジェナムと対戦。相手の頭を頭で金網に押し付けただけでタップアウト勝ち。準決勝でUFC 5優勝者のダン・スバーンに敗れたが、後頭部を200発以上殴られても決してタップせず、判定負けがコールされる前に平然とオクタゴンを立ち去った(この姿には勝者のスバーンも驚愕していた)。

1996年12月7日、Ultimate Ultimate 1996ではダン・スバーンの弟子でUFC 8優勝のドン・フライと戦い、開始早々にジャブでダウンさせるものの、寝技に持ち込まれチョークスリーパーで一本負け。グラウンド面での弱さが露呈する。

1997年5月30日、UFC 13ヴィトー・ベウフォートに自身初のKO負けを喫した。

1997年10月11日、PRIDE.1キモ戦が組まれたが、試合の直前に傷害事件を起こし、来日不可能となった。代打として偶然プロレスで来日していたダン・スバーンがキモと対戦した(結果は時間切れ引き分け)。

1997年10月17日、UFC 15で今度はキモ戦で負傷したダン・スバーンの代打としてモーリス・スミスの持つUFCヘビー級王座に挑戦。「1980年代最強のキックボクサー」と言われたスミスのキックボクシング技術の前にギブアップ負けとなった。この頃から喧嘩で培った技術だけでは卓越した打撃技術を持つストライカー相手には通用しなくなっていく。

1997年12月21日、UFC Japanのヘビー級トーナメントにて日本初登場。1回戦はキングダム安生洋二をパウンドで攻め、判定勝ち。しかし、この試合で拳を骨折し決勝戦を棄権した。

1998年5月15日、UFC 17で「ルタ・リーブリの帝王」ことウゴ・デュアルチと対戦し、KO勝ち。

1998年10月16日、UFC Brazilペドロ・ヒーゾと対戦。序盤は互角の殴り合いを見せるも、すぐにスタミナ切れを起こし、ヒーゾのローキックで失速。なんとかグラウンドに持ち込むものの、結局何もできずブレイクされると完全にスタミナ切れ。最後はパンチでダウンを奪われ立ち上がることができずKO負け。この試合を最後にUFCから一時撤退し、プロレスラーに転進することになる。

1999年からメジャープロレス団体のWCWに入団。同団体が解散した2001年まで在籍。

2007年4月21日、Cage Rage 21で欠場したボブ・サップの代役として急遽出場。ゲーリー・ターナーと対戦するも1RTKOで敗れた。

2008年2月16日、EliteXCキンボ・スライスと対戦し、開始43秒でKO負けを喫した。

人物[]

頑健な肉体と人間離れしたパワーの持ち主であり、ベンチプレスでは270kgを挙げる。また「試合のために格闘技の練習をしてるんじゃない!」とインタビューで語っている。宿泊ホテル内でパトリック・スミスと口論になり、エレベーター内で彼を一方的に暴行したことがある。子供のころから機関銃を携帯しており、スラム街や酒場で毎日のように喧嘩をしていた。UFCで初めて当時は義務化されていなかったオープンフィンガーグローブ(OFG)を着用して戦った格闘家でもある。脆い拳骨を守るため、いち早くOFGを導入したあたりに喧嘩経験の豊富さが垣間見える。なお、舎弟であり、桜庭和志との対戦経験もあるポール・ヘレラがレスリングを教えていたティト・オーティズチャック・リデル(共に元UFCライトヘビー級王者)、両名はタンク・アボット軍団の元構成員。両者共、アボットを介してUFCデビューをしている。

戦績[]

総合格闘技 戦績
24 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
10 6 3 1 0 0 0
14 6 6 2 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
マイク・ボーク 1R 0:29 KO(パウンド) WarGods/Ken Shamrock Productions: The Valentine's Eve Massacre 2009年2月13日
× キンボ・スライス 1R 0:43 KO(パウンド) EliteXC: Street Certified 2008年2月16日
× ゲーリー・ターナー 1R 2:31 TKO(パウンド) Cage Rage 21: Judgement Day 2007年4月21日
× ポール・ブエンテロ 1R 0:43 KO(パンチ) Strikeforce: Tank vs Buentello 2006年10月7日
× 吉田秀彦 1R 7:40 片羽絞め PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦
【スペシャルマッチ】
2005年8月28日
ウェズリー"キャベージ"コレイラ 1R 1:23 KO(パンチ) Rumble On The Rock 7 2005年5月7日
× ウェズリー"キャベージ"コレイラ 1R 2:14 TKO(カット) UFC 45: Revolution 2003年11月21日
× キモ 1R 1:59 肩固め UFC 43: Meltdown 2003年6月6日
× フランク・ミア 1R 0:46 アンクルホールド UFC 41: Onslaught 2003年2月28日
× ペドロ・ヒーゾ 1R 8:07 KO(パンチ) UFC Brazil: Ultimate Brazil 1998年10月16日
ウゴ・デュアルチ 1R 0:43 TKO(パンチ連打) UFC 17: Redemption 1998年5月15日
安生洋二 15分終了 判定3-0 UFC Japan: Ultimate Japan 1
【UFC-Jヘビー級トーナメント 準決勝】
1997年12月21日
× モーリス・スミス 1R 8:08 ギブアップ(打撃) UFC 15: Collision Course
【UFC世界ヘビー級タイトルマッチ】
1997年10月17日
× ビクトー・ベウフォート 1R 0:52 TKO(パンチ連打) UFC 13: The Ultimate Force 1997年5月30日
× ドン・フライ 1R 1:22 チョークスリーパー Ultimate Ultimate 1996【決勝】 1996年12月7日
スティーヴ・ネルマーク 1R 1:03 KO(パンチ) Ultimate Ultimate 1996【準決勝】 1996年12月7日
カール・ワーシャム 1R 2:51 ギブアップ(打撃) Ultimate Ultimate 1996【1回戦】 1996年12月7日
× スコット・フェローゾ 15分終了 判定0-3 UFC 11: The Proving Ground【準決勝】 1996年9月20日
サム・アドキンス 1R 2:06 ネッククランク UFC 11: The Proving Ground【1回戦】 1996年9月20日
× ダン・スバーン 18分1R終了 判定3-0 Ultimate Ultimate 1995【準決勝】 1995年12月16日
スティーブ・ジェナム 1R 1:14 ネッククランク Ultimate Ultimate 1995【1回戦】 1995年12月16日
× オレッグ・タクタロフ 1R 17:45 チョークスリーパー UFC 6: Clash of the Titans【決勝】 1995年7月14日
ポール・ヴァレランス 1R 1:53 TKO(パンチ連打) UFC 6: Clash of the Titans【準決勝】 1995年7月14日
ジョン・マチューア 1R 0:20 KO(パンチ連打) UFC 6: Clash of the Titans【1回戦】 1995年7月14日

脚注[]

  1. 1.0 1.1 竹内規和 『ザ・バーリトゥーダー 極強への挑戦』 フットワーク出版、1998年。

外部リンク[]

Wikipedia[]

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