セーム・シュルト | |
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本名 | セーム・シュルト |
通称 | 絶対王者 難攻不落の最凶王者 最凶巨神兵 巨大格闘ロボ |
性別 | 男性 |
国籍 | オランダ |
誕生日 | 1973年10月27日(50歳) |
出身地 | 南ホラント州ロッテルダム |
身長 | 212cm |
体重 | 136kg |
リーチ | |
階級 | スーパーヘビー級(K-1) |
スタイル | 空手 |
所属 | 正道会館/ゴールデン・グローリー |
セーム・シュルト(Sem Schilt、Semmy Schilt、1973年10月27日 - )は、オランダ・ロッテルダム出身の総合格闘家、キックボクサー、空手家。正道会館/ゴールデン・グローリー所属。
オランダではセム・スヒルト、英語ではセミー・シュルトと発音される。1994年の北斗旗オープントーナメント初参戦時、大道塾塾長・東孝が「セーム・シュルト」と呼んだことから、そのまま定着したものであり、本人もSeimと名前を表記することがある。
獲得タイトル[]
- オランダUSA大山空手オープントーナメント優勝(1994年)
- 全欧芦原空手オープントーナメント優勝(1994年)
- 全英極真空手オープントーナメント優勝(1994年)
- モスクワフルコンタクト空手オープントーナメント優勝(1994年)
- オランダ極真武道会大会優勝(1995年)
- オープントーナメント北斗旗空手道無差別選手権大会優勝 優勝(1996年)
- オープントーナメント北斗旗空手道無差別選手権大会優勝 優勝(1997年)
- 第9代パンクラス無差別級王座
- K-1 WORLD GP 2005 IN PARIS EUROPE GP 優勝
- K-1 WORLD GP 2005 優勝
- K-1 WORLD GP 2006 優勝
- K-1 WORLD GP 2007 優勝
- 初代K-1スーパーヘビー級(100kg以上)王座
- K-1 WORLD GP 2009 優勝
来歴[]
UFC参戦以前[]
着衣総合格闘技団体大道塾主催の北斗旗オープントーナメントには1994年から4年連続出場。1994年11月5日には品野圭司に一本負けで1回戦敗退。翌年の11月11日には準決勝まで進出するも、中山正和に敗退。3位となった。
1996年は組み技のトレーニングに集中的に取り組み、当時大道塾と関係の深かったパンクラスにも出場。山田学、近藤有己、柳澤龍志、渋谷修身と試合をした。そして11月16日には北斗旗オープントーナメントで外国人初の優勝者となった。
1997年はパンクラスで5試合をこなし、11月16日の北斗旗オープントーナメントでは他の選手を全く寄せ付けず優勝し2連覇を達成した。
1999年11月28日、無差別級キング・オブ・パンクラスタイトルマッチで王者近藤有己に挑戦し、チョークスリーパーで一本勝ちを収め王座を獲得した。その後、2度の防衛に成功した。同王座は2003年の階級再編に伴い返上した[1]。
2001年[]
3月18日、「2H2H 2」ではアレクセイ・メドヴェーデフと対戦し、判定ドローとなった。
5月4日、「UFC 31」ではピート・ウィリアムスと対戦し、左フックによるTKO勝ちを収めた。
6月29日、「UFC 32」ではジョシュ・バーネットと対戦し、腕ひしぎ十字固めによる一本負けを喫した。
2002年[]
4月21日、K-1初参戦となった「K-1 BURNING 2002」では武蔵と対戦し、2-1の判定勝ちを収めた。
6月23日、「PRIDE.21」ではエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦し、0-3の判定負けを喫した。
8月28日、「Dynamite!」ではアーネスト・ホーストとK-1ルールで対戦し、0-0の判定ドローとなった。
10月5日、「K-1 WORLD GP 2002 開幕戦」ではマイケル・マクドナルドと対戦し、3-0の判定勝ち。「K-1 WORLD GP 2002 決勝戦」への出場を決めた。
11月24日、「PRIDE.23」では当時のPRIDEヘビー級王者であったアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し、三角絞めによる一本負け。この試合に敗れ左肩を負傷したことを理由に12月7日の「K-1 WORLD GP 2002 決勝戦」を欠場した。
2003年[]
7月13日、「K-1 WORLD GP 2003 in 福岡」でレミー・ボンヤスキーと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。
12月31日、「INOKI BOM-BA-YE 2003」で行なわれた無差別級キング・オブ・パンクラスタイトルマッチでジョシュ・バーネットと再戦し、腕ひしぎ十字固めによる一本負けを喫した。
2004年[]
4月25日、「PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦」でガン・マッギーと対戦し、腕ひしぎ十字固めによる一本勝ちを収めた。
5月20日、IT'S SHOWTIMEにてアレクセイ・イグナショフと対戦し、終始パンチの連打で圧倒されてKO負け。これが打撃系格闘技における初黒星となった。
6月20日、「PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND」でセルゲイ・ハリトーノフと対戦。マウントパンチと鉄槌打ちの連打を受け血まみれになりTKO負け。この試合を最後にPRIDEから撤退した。
11月6日、「TITANS 1st」でヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤと対戦。先制のダウンを奪われるが、逆転KO勝ちを収めた。
2005年[]
同年、正道会館に移籍しK-1に本格参戦。5月27日、「K-1 WORLD GP 2005 IN PARIS」のEUROPE GPで3試合をいずれもKOもしくはTKO勝ちで優勝し、グランプリ出場を決めた。
9月23日、「K-1 WORLD GP 2005 IN OSAKA 開幕戦」でグラウベ・フェイトーザと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。
11月19日、「K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦」では身体をそれまでになく絞って臨み、準々決勝のレイ・セフォー戦では3ラウンドにダウンを奪っての判定勝ちを収め、準決勝のレミー・ボンヤスキー戦、決勝のグラウベ・フェイトーザ戦ではそれぞれ1ラウンドKO勝ちし優勝。総合格闘家としてはK-1史上初、空手家としてはアンディ・フグに次ぐK-1史上2人目の王者となった。また、谷川貞治は「K-1史上最強のチャンピオンが出てきた感じ」と実力を絶賛した。
12月31日、「K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!」でアーネスト・ホーストとK-1ルールで再戦し、左膝蹴りによるTKO勝ちを収めた。
2006年[]
3月5日、「K-1 WORLD GP 2006 IN AUCKLAND」でピーター・アーツと対戦。やや消極的なファイトとクリンチの反則(ルールの変更による。今回に限らず以前もシュルトが得意とする首相撲からの膝の連打についてルール変更された過去がある)もあり、0-2の判定負け。これがK-1における初黒星となった。
4月29日、「K-1 WORLD GP 2006 IN LAS VEGAS」で武蔵と再戦し、3-0の判定勝ちを収めた。
6月3日、「K-1 WORLD GP 2006 IN SEOUL」でチェ・ホンマンと対戦し、1-2の判定負けを喫した。
8月5日、HERO'Sでキム・ミンスと対戦し、三角絞めによる一本勝ちを収めた。
9月30日、「K-1 WORLD GP 2006 IN OSAKA 開幕戦」ではビヨン・ブレギーと対戦し、左ストレートによるKO勝ちを収めた。
12月2日、「K-1 WORLD GP 2006 IN TOKYO 決勝戦」では準々決勝のジェロム・レ・バンナ戦、準決勝のアーネスト・ホースト戦、決勝のアーツ戦の全てで判定勝ちを収め、史上4人目となるグランプリ連覇を達成した。
2007年[]
3月4日、「K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMA」では初代K-1スーパーヘビー級王者決定戦でレイ・セフォーと対戦。1ラウンド終盤にセフォーの左フックでK-1初のダウンを喫するも、2ラウンド開始早々にカウンターの左ジャブ一撃でセフォーを失神させKO勝ちを収めた。
6月23日、「K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAM」において、K-1スーパーヘビー級タイトルマッチでマイティ・モーと対戦。距離を取って決定打を許さず、前蹴りでダウン寸前に追い込み完封し3-0の判定勝ち。初防衛を果たした。
9月29日、「K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16」でポール・スロウィンスキーと対戦し、左膝蹴りでKO勝ちを収めた。
12月8日、「K-1 WORLD GP 2007 FINAL 準々決勝」ではグラウベ・フェイトーザと対戦し、中盤にグラウベの必殺技であるブラジリアンキックを顔面に浴びてグラつく場面こそあったものの、それ以外では攻め続けて3-0の判定勝ち。準決勝ではジェロム・レ・バンナから2ラウンドTKO勝ち、決勝ではピーター・アーツから1ラウンドTKO勝ちし、史上初となるK-1 WORLD GP3連覇を果たした。試合後、「来年はまだ誰も成し遂げていない4連覇を達成したい」とコメントした。
2008年[]
1月12日、オーストリアで開催された「Lord of the Ring」でギュールミノ・ナドルと対戦し、パウンドでKO勝ちを収めた。
4月13日、「K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMA」で行なわれたK-1スーパーヘビー級タイトルマッチでマーク・ハントと対戦し、右バックスピンキックでKO勝ち。2度目の防衛を果たした。
6月29日、「K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKA」で行なわれたK-1スーパーヘビー級タイトルマッチでジェロム・レ・バンナと対戦し、2-0の判定勝ち。3度目の防衛を果たした。
9月27日、「K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16」でピーター・アーツと対戦し、0-2の判定負け。試合後、判定への不満を漏らした。
12月31日、「Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~」でマイティ・モーとDREAMルールで対戦し、三角絞めによる一本勝ちを収めた。
2009年[]
3月28日、「K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMA」にてヘスディ・カラケスと対戦。2ラウンドにダウンを奪い3-0の判定勝ちを収めた。
5月16日、IT'S SHOWTIMEの初代IT'S SHOWTIME世界ヘビー級王者決定戦でバダ・ハリと対戦。序盤からパンチの激しい打ち合いとなりシュルトがダウン。立ち上がった後もハリのラッシュに押され2度目のダウンを喫してレフェリーがストップを宣告し45秒KO負けとなった。
9月26日、「K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16」でダニエル・ギタから2度のダウンを奪い3-0の判定勝ちを収めた。
12月5日、「K-1 WORLD GP 2009 FINAL」では準々決勝のジェロム・レ・バンナ戦、準決勝のレミー・ボンヤスキー戦、決勝のバダ・ハリ戦の全てで1ラウンドKO勝ちを収め、1998年にピーター・アーツが達成して以来、K-1史上2度目となる決勝大会での全試合1ラウンドKO勝ちを達成し、アーネスト・ホーストと並ぶ史上最多の4度目の王座を獲得。さらに今大会での全試合時間の合計は5分43秒であり、アーツが1998年に記録した決勝大会の最短制覇記録(6分43秒)も更新した。
2010年[]
4月3日、「K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMA」で行なわれたK-1スーパーヘビー級タイトルマッチでエロール・ジマーマンと対戦し、3-0の判定勝ち。4度目の王座防衛に成功した。
10月2日、「K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16」でIT'S SHOWTIME世界ヘビー級王者ヘスディ・カラケスと戦い、カラケスのローキックを受け足が紫色に腫れ上がりながらも2-1の判定勝ちを収めた[2]。しかし、1ラウンド終了時にシュルトのセコンドがリングドクターとレフェリーの許可を得ずにシュルトの負傷した右スネにテーピングを巻いたことがK-1ルールに違反しており、「このテーピングが無ければシュルトは試合を続行できずにTKO負けになっていた可能性があり、またドクターとレフェリーの許可なくテーピングをしたことに対するシュルトへの減点が行なわれなかった」と指摘され、さらに「2ラウンド終了時のジャッジの採点は1人がドロー、1人が1ポイント差でシュルトがリードだったが、3ラウンドは明らかにカラケスが優勢だったので判定は1-1のドローになるべきなのに不当な判定が下された」「シュルトは反則負けで失格にすべき」との抗議文がIT'S SHOWTIME責任者サイモン・ルッツとブラック・ラベル・ファイティング責任者レモン・ダールダーから提出されたものの[3]、裁定に変更はなかった[4]。
12月11日、「K-1 WORLD GP 2010 FINAL」では、準々決勝でK-1ヘビー級王者の京太郎と対戦し、アグレッシブな攻めを見せ3-0の判定勝ちを収めた。準決勝ではピーター・アーツと5度目の対戦をし、1ラウンドはやや優勢に試合を進めたものの、3ラウンドはアーツのローキックとパンチに苦しみ減点1を取られ0-2の判定負けを喫した。なお、これがK-1のトーナメント戦における初黒星となった。
人物・エピソード[]
- K-1参戦当初はシュルトの手があまりにも大きすぎて規定のグローブに入らず、大きめのグローブをつけて試合をしていた。その巨大な拳をもらった相手はおしなべて「レンガのように固く、痛い」とコメントしており、レンガパンチと呼ばれることもあった。
- 「K-1 WORLD GP 2002 開幕戦」ではテレビ解説を務めた石井和義に相手の顔面を押さえつけるファイトぶりを反則に等しい行為として批判された。ピーター・アーツにも「シュルトのファイトはエキサイティングではなく、つまらない」と酷評されている[5]。
戦績[]
キックボクシング[]
キックボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
43試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
37勝 | 17 | 20 | 0 | 1 | 0 | |
6敗 | 2 | 4 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | ピーター・アーツ | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD GP 2010 FINAL 【WORLD GP 準決勝】 |
2010年12月11日 |
○ | 京太郎 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2010 FINAL 【WORLD GP 準々決勝】 |
2010年12月11日 |
○ | ヘスディ・カラケス | 3R終了 判定2-1 | K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16 【WORLD GP 1回戦】 |
2010年10月2日 |
○ | エロール・ジマーマン | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMA 【K-1スーパーヘビー級タイトルマッチ】 |
2010年4月3日 |
○ | バダ・ハリ | 1R 1:48 KO(3ノックダウン:左ミドルキック) | K-1 WORLD GP 2009 FINAL 【WORLD GP 決勝】 |
2009年12月5日 |
○ | レミー・ボンヤスキー | 1R 2:28 KO(2ノックダウン:右ストレート) | K-1 WORLD GP 2009 FINAL 【WORLD GP 準決勝】 |
2009年12月5日 |
○ | ジェロム・レ・バンナ | 1R 1:27 KO(2ノックダウン:左前蹴り) | K-1 WORLD GP 2009 FINAL 【WORLD GP 準々決勝】 |
2009年12月5日 |
○ | アレクセイ・イグナショフ | 3R終了 判定3-0 | GLORY 11: A Decade of Fights | 2009年10月17日 |
○ | ダニエル・ギタ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16 【WORLD GP 1回戦】 |
2009年9月26日 |
× | バダ・ハリ | 1R 0:45 KO(右ストレート) | IT'S SHOWTIME 【初代IT'S SHOWTIME世界ヘビー級王者決定戦】 |
2009年5月16日 |
○ | ヘスディ・カラケス | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMA | 2009年3月28日 |
× | ピーター・アーツ | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16 【WORLD GP 1回戦】 |
2008年9月27日 |
○ | ジェロム・レ・バンナ | 3R終了 判定2-0 | K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKA 【K-1スーパーヘビー級タイトルマッチ】 |
2008年6月29日 |
○ | マーク・ハント | 1R 3:06 KO(右バックスピンキック) | K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMA 【K-1スーパーヘビー級タイトルマッチ】 |
2008年4月13日 |
○ | ピーター・アーツ | 1R 1:49 KO(左ストレート) | K-1 WORLD GP 2007 FINAL 【WORLD GP 決勝】 |
2007年12月8日 |
○ | ジェロム・レ・バンナ | 2R 1:02 TKO(タオル投入:右足負傷) | K-1 WORLD GP 2007 FINAL 【WORLD GP 準決勝】 |
2007年12月8日 |
○ | グラウベ・フェイトーザ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2007 FINAL 【WORLD GP 準々決勝】 |
2007年12月8日 |
○ | ポール・スロウィンスキー | 1R 2:26 KO(左膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16 【WORLD GP 1回戦】 |
2007年9月29日 |
○ | マイティ・モー | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAM 【K-1スーパーヘビー級タイトルマッチ】 |
2007年6月23日 |
○ | レイ・セフォー | 2R 0:26 KO(左ストレート) | K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMA 【初代K-1スーパーヘビー級王者決定戦】 |
2007年3月4日 |
○ | ピーター・グラハム | 5R終了 判定3-0 | K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! | 2006年12月31日 |
○ | ピーター・アーツ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2006 IN TOKYO 決勝戦 【WORLD GP 決勝】 |
2006年12月2日 |
○ | アーネスト・ホースト | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2006 IN TOKYO 決勝戦 【WORLD GP 準決勝】 |
2006年12月2日 |
○ | ジェロム・レ・バンナ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2006 IN TOKYO 決勝戦 【WORLD GP 準々決勝】 |
2006年12月2日 |
○ | ビヨン・ブレギー | 1R 2:21 KO(3ノックダウン:左ストレート) | K-1 WORLD GP 2006 IN OSAKA 開幕戦 【WORLD GP 1回戦】 |
2006年9月30日 |
× | チェ・ホンマン | 3R終了 判定1-2 | K-1 WORLD GP 2006 IN SEOUL 【スーパーファイト】 |
2006年6月3日 |
○ | ロイド・ヴァン・ダム | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAM 【スーパーファイト】 |
2006年5月13日 |
○ | 武蔵 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2006 IN LAS VEGAS 【スーパーファイト】 |
2006年4月29日 |
× | ピーター・アーツ | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD GP 2006 IN AUCKLAND 【スーパーファイト】 |
2006年3月5日 |
○ | アーネスト・ホースト | 2R 0:41 TKO(ドクターストップ:左膝蹴り) | K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! | 2005年12月31日 |
○ | グラウベ・フェイトーザ | 1R 0:48 KO(左膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦 【WORLD GP 決勝】 |
2005年11月19日 |
○ | レミー・ボンヤスキー | 1R 2:08 KO(2ノックダウン:左膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦 【WORLD GP 準決勝】 |
2005年11月19日 |
○ | レイ・セフォー | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦 【WORLD GP 準々決勝】 |
2005年11月19日 |
○ | グラウベ・フェイトーザ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2005 IN OSAKA 開幕戦 【WORLD GP 1回戦】 |
2005年9月23日 |
○ | ナオフォール“アイアン・レッグ” | 2R 2:32 KO(右フック) | K-1 WORLD GP 2005 IN PARIS 【EUROPE GP 決勝】 |
2005年5月27日 |
○ | フレディ・ケマイヨ | 3R 1:19 TKO(レフェリーストップ:右ハイキック) | K-1 WORLD GP 2005 IN PARIS 【EUROPE GP 準決勝】 |
2005年5月27日 |
○ | ピーター・ボンドラチェック | 2R 2:42 TKO(レフェリーストップ) | K-1 WORLD GP 2005 IN PARIS 【EUROPE GP 1回戦】 |
2005年5月27日 |
○ | モンターニャ・シウバ | 1R 1:22 KO(右ローキック) | K-1 WORLD GP 2005 IN SEOUL 【スーパーファイト】 |
2005年3月19日 |
○ | ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ | 2R 0:58 KO(左ストレート) | 児童福祉チャリティ TITANS 1st 2004年チャンピオンシリーズ ~新日本キックボクシング&K-1ファイターズ参戦~ | 2004年11月6日 |
× | アレクセイ・イグナショフ | 1R 1:20 KO(左膝蹴り) | IT'S SHOWTIME 【K-1ルール】 |
2004年5月20日 |
○ | レミー・ボンヤスキー | 5R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2003 in 福岡 | 2003年7月13日 |
○ | マイケル・マクドナルド | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2002 開幕戦 【WORLD GP 1回戦】 |
2002年10月5日 |
△ | アーネスト・ホースト | 5R終了 判定0-0 | Dynamite! 【K-1ルール】 |
2002年8月28日 |
○ | 武蔵 | 5R終了 判定2-1 | K-1 BURNING 2002 ~広島初上陸~ | 2002年4月21日 |
総合格闘技[]
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
41 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
26 勝 | 14 | 10 | 2 | 0 | 1 | 0 |
14 敗 | 2 | 6 | 6 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | マイティ・モー | 1R 5:31 三角絞め | Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~ | 2008年12月31日 |
○ | ギュールミノ・ナドル | 1R 2:45 KO(パウンド) | Lord of the Ring: Schilt vs. Guelmino | 2008年1月12日 |
○ | キム・ミンス | 1R 4:46 三角絞め | HERO'S 2006 | 2006年8月5日 |
× | セルゲイ・ハリトーノフ | 1R 9:19 TKO(レフェリーストップ:パウンド) | PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND 【ヘビー級GP 2回戦】 |
2004年6月20日 |
○ | ガン・マッギー | 1R 5:02 腕ひしぎ十字固め | PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦 【ヘビー級GP 1回戦】 |
2004年4月25日 |
× | ジョシュ・バーネット | 3R 4:48 腕ひしぎ十字固め | INOKI BOM-BA-YE 2003 【無差別級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチ】 |
2003年12月31日 |
× | アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | 1R 6:36 三角絞め | PRIDE.23 | 2002年11月24日 |
× | エメリヤーエンコ・ヒョードル | 3R終了 判定0-3 | PRIDE.21 | 2002年6月23日 |
○ | 高山善廣 | 1R 3:09 KO(左ストレート) | PRIDE.18 | 2001年12月23日 |
○ | 佐竹雅昭 | 1R 2:18 KO(左ストレート) | PRIDE.17 | 2001年11月3日 |
○ | 小路晃 | 1R 8:19 KO(スタンドでのパンチ) | PRIDE.16 | 2001年9月24日 |
× | ジョシュ・バーネット | 1R 4:21 腕ひしぎ十字固め | UFC 32: Showdown in the Meadowlands | 2001年6月29日 |
○ | ピート・ウィリアムス | 2R 1:28 TKO(レフェリーストップ:左フック) | UFC 31: Locked and Loaded | 2001年5月4日 |
△ | アレクセイ・メドヴェーデフ | 2R終了 判定ドロー | 2H2H 2 - Simply The Best | 2001年3月18日 |
○ | ボブ・シュライバー | 2R 1:00 チョークスリーパー | It's Showtime - Exclusive | 2000年10月22日 |
○ | 渋谷修身 | 20分1本 8:55 TKO(レフェリーストップ:パウンド) | PANCRASE 2000 TRANS TOUR 【無差別級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチ】 |
2000年9月24日 |
○ | 山本宜久 | 1R 2:54 TKO(レフェリーストップ) | リングス・オランダ「Missisipidreef in Utrecht」 | 2000年6月4日 |
○ | 高橋義生 | 20分1本 7:30 TKO(レフェリーストップ:パウンド) | PANCRASE 2000 TRANS TOUR 【無差別級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチ】 |
2000年4月30日 |
○ | 近藤有己 | 20分1本 2:28 チョークスリーパー | PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR 【無差別級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチ】 |
1999年11月28日 |
○ | 美濃輪育久 | 15分1本 判定3-0 | PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR 【ランキング戦】 |
1999年9月18日 |
○ | 稲垣克臣 | 10分1本 8:23 KO(膝蹴り) | PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR | 1999年9月4日 |
○ | 渋谷修身 | 15分1本 12:06 チョークスリーパー | PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR 【ランキング戦】 |
1999年7月6日 |
× | ギルバート・アイブル | 2R 4:58 KO | リングス・オランダ「The Kings of the Magic Ring」 | 1999年6月20日 |
× | 近藤有己 | 20分1本 判定(ポイント0-1) | PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR 【無差別級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチ】 |
1999年4月18日 |
○ | 伊藤崇史 | 10分1本 1:45 肩固め | PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR | 1999年3月9日 |
○ | 船木誠勝 | 20分1本 7:13 KO(ボディブロー) | PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR 【ランキング戦】 |
1998年9月14日 |
○ | ガイ・メッツァー | 15分1本 13:15 KO | PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR | 1998年6月21日 |
○ | 高橋義生 | 15分1本 5:44 TKO(レフェリーストップ) | PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR | 1998年5月12日 |
○ | ジェイソン・ゴドシー | 20分1本 1:47 TKO(ドクターストップ:カット) | PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR 【ランキング戦】 |
1998年4月26日 |
× | 船木誠勝 | 15分1本 判定(ポイント0-1) | PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR | 1998年3月18日 |
× | 長谷川悟史 | 15分1本 3:56 足首固め | PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR | 1998年2月6日 |
○ | 鈴木みのる | 15分1本 9:52 KO(膝蹴り) | PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR | 1998年1月16日 |
× | 近藤有己 | 20分1本 判定(ポイント0-1) | PANCRASE 1997 ALIVE TOUR | 1997年6月30日 |
○ | 冨宅飛駈 | 15分1本 8:59 スリーパーホールド | PANCRASE 1997 ALIVE TOUR | 1997年5月24日 |
○ | 高橋義生 | 15分1本 7:00 TKO(レフェリーストップ) | PANCRASE 1997 ALIVE TOUR | 1997年3月22日 |
× | 船木誠勝 | 15分1本 5:47 アンクルホールド | PANCRASE 1997 ALIVE TOUR | 1997年2月22日 |
× | ガイ・メッツァー | 20分1本 判定(ポイント0-2) | PANCRASE 1997 ALIVE TOUR 【ランキング戦】 |
1997年1月17日 |
○ | 渋谷修身 | 10分1本 判定2-0 | PANCRASE TOUR 1996 TRUTH | 1996年12月15日 |
× | 柳澤龍志 | 10分1本 0:51 アンクルホールド | PANCRASE TOUR 1996 TRUTH | 1996年10月8日 |
× | 近藤有己 | 10分1本 判定1-2 | PANCRASE TOUR 1996 TRUTH 【ネオブラッドトーナメント1回戦】 |
1996年7月22日 |
○ | 山田学 | 10分1本 5:44 スリーパーホールド | PANCRASE TOUR 1996 TRUTH | 1996年5月16日 |
脚注[]
- ↑ [パンクラス] 無差別級ランキング、全面更新で再始動。シュルトは王座返上 BoutReview 2003年8月1日
- ↑ K-1 WORLD GP 2010 FINAL16 第10試合 スポーツナビ 2010年10月2日
- ↑ 【IT’S SHOWTIME通信 from オランダ】 セーム・シュルトへの抗議文 J SPORTS コラム 2010年10月12日
- ↑ シュルトvsカラケス戦に関する見解 K-1公式サイト 2010年12月13日
- ↑ 「K-1のためにオレは闘う」アーツ一世一代の大勝負 K-1公式サイト 2008年9月15日
関連項目[]
- K-1王者一覧
- パンクラス王者一覧
外部リンク[]
- K-1 選手データ
- DREAM 選手データ
- PRIDE 選手データ - Internet Archive
- HERO'S 選手データ - Internet Archive
- パンクラス 選手データ
- SHERDOG 選手データ
テンプレート:K-1 WORLD GP歴代王者
前王者 |
初代K-1スーパーヘビー級王者 2007年3月4日 - 現在 |
次王者 |
前王者 近藤有己 |
第9代パンクラス無差別級王者 1999年11月28日 - 2003年7月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ジョシュ・バーネット |
Wikipedia[]
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