カン・リー | |
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通称 | ミスター・ストライクフォース 生けるブルース・リー |
性別 | 男性 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1972年5月25日(51歳) |
出身地 | カリフォルニア州サンノゼ |
身長 | 178cm |
体重 | 84kg |
リーチ | 175cm |
階級 | ミドル級 |
スタイル | レスリング、散打 |
所属 | アメリカン・キックボクシング・アカデミー |
カン・リー(Cung Le、1972年5月25日 - )は、アメリカ合衆国のキックボクサー、総合格闘家。カリフォルニア州サンノゼ出身。ベトナム系アメリカ人。アメリカン・キックボクシング・アカデミー所属。
キックボクサーとしてK-1への参戦経験も有し、サイドキックや回し蹴りなど、スタンド状態からの蹴り技を多用するファイトスタイルと軽快で変則的な動きから、生けるブルース・リーとの異名を取る。Strikeforceでは絶大な人気を誇る[1]。
格闘家として活動する傍らで俳優としても活動しているため、格闘技を休業することもしばしばある[2]。近作は『TEKKEN -鉄拳-』のマーシャル・ロウ役。
獲得タイトル[]
- アマチュア
- 第4回世界武術選手権大会 散打部門 男子80kg級 3位(1997年)
- 第5回世界武術選手権大会 散打部門 男子80kg級 3位(1999年)
- プロキックボクシング
- ISKA散打全米ライトヘビー級王座
- ISKA散打北米ライトヘビー級王座
- 初代IKFプロ散打世界ライトヘビー級王座(0度防衛)
- プロ総合格闘技
- 第2代Strikeforce世界ミドル級王座(0度防衛)
来歴[]
幼少期[]
1972年5月25日にベトナムで生まれる(母方の祖父はベトナムでチーフポリスをやっており、CIAの通訳をしていた)。出生後、2歳11か月までサイゴンで過ごす。1975年4月30日のサイゴン陥落の3日前に、母方の家族に連れられ、アメリカ軍とのコネでヘリコプターでフィリピンに脱出。その時、父親とその親族はベトナムへの思い入れからベトナムに残った。そしてアメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼに移住した。
10歳でテコンドーを始めたが、経済的理由から断念。中学校の進学後、体育の科目からレスリングを選択。高校とジュニアカレッジでオールアメリカンに選ばれた。AAU主催の全米選手権でも、グレコローマンとフリースタイルの両方で優勝。その後、レスリングの全米強化選手に選ばれる。しかし、20歳のときに母親の旅行代理店の経営が良くなかったことから、レスリングを中断。
1994年、22歳のときに散打を始める。また士道館空手も習い、1998年に全米選手権で優勝。しかし、顔面攻撃禁止のルールに慣れず、何度か失格になったこともあった。また同年には、ロシアの格闘技であるドラッカで、全米王者となった。
2006年3月10日、Strikeforce旗揚げ戦で総合格闘技初挑戦。マイク・アルトマンと対戦し、右フックでKO勝ちを収めた。
2007年6月22日、StrikeforceとEliteXCの合同興行でトニー・フリックランドと対戦し、TKO勝ちを収めた。
2008年3月29日、「Strikeforce: Shamrock vs. Cung Le」でStrikeforce世界ミドル級王者フランク・シャムロックに挑戦し、シャムロックの右腕の負傷によりTKO勝ちを収め王座を獲得した[3]。その後、2009年9月に王座を返上した。
2009年12月19日、復帰戦となった「Strikeforce: Evolution」でスコット・スミスと対戦。バックキック等を用い、3ラウンド中盤まで試合を優位に進めたが、スミスの左フックからのパンチの連打によりダウンし、そのままパウンドでのTKO負けにより、キャリア初の敗北を喫した[4]。
2010年6月26日、「Strikeforce: Fedor vs. Werdum」でスコット・スミスと再戦し、左バックキックでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ちを収めた[5]。
2011年11月19日、1年4か月ぶりの復帰戦およびUFC初参戦となった「UFC 139」のセミファイナルでヴァンダレイ・シウバと対戦し、パウンドによるTKO負けを喫したもののファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[6]。
戦績[]
総合格闘技[]
総合格闘技 戦績 | ||||||
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9 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
7 勝 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2 敗 | 2 | 0 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | ヴァンダレイ・シウバ | 2R 4:49 TKO(パウンド) | UFC 139: Shogun vs. Henderson | 2011年11月19日 |
○ | スコット・スミス | 2R 1:46 TKO(左バックキック→パウンド) | Strikeforce: Fedor vs. Werdum | 2010年6月26日 |
× | スコット・スミス | 3R 3:25 TKO(パンチ連打→パウンド) | Strikeforce: Evolution | 2009年12月19日 |
○ | フランク・シャムロック | 3R終了時 TKO(右腕負傷) | Strikeforce: Shamrock vs. Cung Le 【Strikeforce世界ミドル級タイトルマッチ】 |
2008年3月29日 |
○ | サム・モーガン | 3R 1:58 TKO(後蹴り) | Strikeforce: Four Men Enter, One Man Survives | 2007年11月16日 |
○ | トニー・フリックランド | 3R 0:25 TKO | Strikeforce & EliteXC: Shamrock vs. Baroni | 2007年6月22日 |
○ | ジェイソン・フォン・フルー | 1R 0:43 TKO(カット) | Strikeforce: Triple Threat | 2006年12月8日 |
○ | ブライアン・ウォーレン | 1R 4:19 TKO | Strikeforce: Revenge | 2006年6月9日 |
○ | マイク・アルトマン | 1R 3:51 KO(右フック) | Strikeforce: Shamrock vs. Gracie | 2006年3月10日 |
K-1[]
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | ブライアン・ウォーレン | 2分4R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGAS 【スーパーファイト ドラッカルール】 |
2004年4月30日 |
○ | フィル・フェティート | 3分4R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2003 in LAS VEGAS 【スーパーファイト 散打ルール】 |
2003年8月15日 |
○ | スコット・シェーリー | 2R 1:13 TKO | K-1 WORLD GP 2003 in LAS VEGAS 【スーパーファイト】 |
2003年5月2日 |
○ | モハメド・ラミン・ケイタ | 判定 | K-1 GP USA CHAMPIONSIPS 2000 【スーパーファイト 散打ルール】 |
2000年8月5日 |
参考出典[]
- 『GONKAKU』2008年6月号、130-133頁、イースト・プレス、2008年6月23日発行
脚注[]
- ↑ 【Strikeforce】ヒョードル上回る人気者、揃って復帰戦 MMAPLANET 2010年6月4日
- ↑ 【Strikeforce】 12/19 王座返上&復活=カン・リーに訊く MMAPLANET 2009年11月29日
- ↑ 【Strikeforce】カン・リー、フランクの右腕を破壊 MMAPLANET 2008年3月30日
- ↑ 【Strikeforce】スミスがグッドジョブ、リーに劇的勝利 MMAPLANET 2009年12月20日
- ↑ 【Strikeforce】カン・リーがリベンジ、最後はレバー貫いた MMAPLANET 2010年6月27日
- ↑ 【UFC139】ヴァンダレイ劇勝、1年9か月ぶりの勝ち名乗り MMAPLANET 2011年11月20日
関連項目[]
外部リンク[]
- 公式サイト
- CungLe185 - Twitter
- UFC 選手データ
- Strikeforce 選手データ
- SHERDOG 選手データ
前王者 フランク・シャムロック |
第2代Strikeforce世界ミドル級王者 2008年3月29日 - 2009年9月17日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ジェイク・シールズ |
Wikipedia[]
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