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イゴール・ボブチャンチン
本名 イゴール・ヤロスラヴォヴィッチ・
ボブチャンチン
Igor Yaroslavovych Vovchanchyn
通称 北の最終兵器
アイス・コールド(Ice Cold)
性別 男性
国籍 ウクライナ
誕生日 1973年8月6日(50歳)
出身地 ハルキウ州ゾーロチウ
身長 176cm
体重 93kg
リーチ
階級 ヘビー級ミドル級
スタイル キックボクシング
所属 フリー
→チーム・ボブチャンチン
テーマ曲 The Red Spectacles
(川井憲次)

イゴール・ボブチャンチンIgor Vovchanchyn1973年8月6日 - )は、ウクライナ総合格闘家。現在はハルキウ州ハルキウ市に在住。チーム・ボブチャンチン所属。

独特の軌道を描いて放たれる強烈なパンチ、ロシアン・フックを武器に対戦相手を次々と薙ぎ倒していく姿から、「北の最終兵器」という異名でPRIDEの名物的選手となった。

来歴[]

学生時代に陸上競技を経験した後、オレッグ・タクタロフの元でボクシングを学ぶ。さらにキックボクシングをベースにレスリングや関節技を習得し[1]、1990年代半ばから母国ウクライナ、ロシア共和国、ベラルーシなど旧ソビエト連邦の諸国での総合格闘技の大会に出場した。

1998年10月11日、PRIDE初参戦となったPRIDE.4ゲーリー・グッドリッジにKO勝ち。以後は、PRIDEを主戦場とし『PRIDE GP 2000』では準優勝を果たした。PRIDEではヘビー級(体重無制限)のハードパンチャーの打撃系選手として活躍していたが、次第に本来のヘビー級の骨格を持つ選手に対し成績がふるわず、2005年頃より本格的にミドル級(93kg以下)に転向。総合格闘技デビュー当時は90kgであったこともあり減量に成功し、かつての大きな腹が腹筋の割れた腹に変わってスマートになり、PRIDEミドル級GP2005に復活を賭けたが、PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDアリスター・オーフレイムに敗れた。

1999年7月18日、K-1ルール初挑戦となったK-1 DREAM '99でアーネスト・ホーストと対戦し、ローキックでKO負けした。

母国でレストラン経営をしており[2]2005年のPRIDEでの中村和裕戦を最後に4年間戦いから遠ざかった。2007年アブダビコンバットでは99kg未満級に出場予定だったが、これも怪我により欠場となった。2008年には現役を引退する意向であることをインタビューで明らかにした。ハードパンチャー故の故障により、両肘にはボルトが埋め込まれ、数々の激闘で負った怪我を治すため、大規模な手術を繰り返していると言う。本人曰く、「もう右手で物を殴ることも出来ない」とのこと[1]。ボブチャンチンの日本での代理人を務める川崎浩市は完全に引退が決まったわけではないとこの報道を否定している[3]

エピソード[]

  • 専属の通訳兼マネージャー(通称:オバチャンチン)は変な日本語を話すことで名物キャラクターとなっている。

戦績[]

総合格闘技[]

総合格闘技 戦績
57 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
45 24 14 7 0 1 1
10 1 6 3 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× 中村和裕 2R終了 判定0-3 PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦
【ミドル級GP リザーブマッチ】
2005年8月28日
× アリスター・オーフレイム 1R 1:20 フロントチョーク PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND
【ミドル級GP 2回戦】
2005年6月26日
近藤有己 3R終了 判定3-0 PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦
【ミドル級GP 1回戦】
2005年4月23日
高橋義生 1R 1:10 KO(スタンドでのパンチ) PRIDE.29 SURVIVAL 2005年2月20日
セルゲイ・テレジモフ 1R ヒールホールド Water of Peresvit 2004年12月4日
藤井軍鶏侍 1R 4:02 TKO(右フック→サッカーボールキック) PRIDE 武士道 -其の伍- 2004年10月14日
ダン・ボビッシュ 2R 1:45 TKO(グラウンドでのパンチ) PRIDE.27
【PRIDE GP サバイバルマッチ】
2004年2月1日
× ミルコ・クロコップ 1R 1:29 KO(左ハイキック) PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦
【ヘビー級ワンマッチ】
2003年8月10日
ボブ・シュライバー 2R 4:05 チョークスリーパー It's Showtime 2003年6月8日
× クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン 1R 7:17 TKO(グラウンドでのパンチ) PRIDE.22 2002年9月29日
× ヒース・ヒーリング 3R終了 判定0-3 PRIDE.19 2002年2月24日
ヴァレンタイン・オーフレイム 1R 4:35 ヒールホールド PRIDE.18 2001年12月23日
リカルダス・ロセヴィチュス 2R TKO(ローキック) Rings Lithuania: Bushido Rings 3 2001年11月10日
× マリオ・スペーヒー 1R 2:52 肩固め PRIDE.17 2001年11月3日
佐竹雅昭 3R終了 判定3-0 PRIDE.15 2001年7月29日
ギルバート・アイブル 1R 1:52 チョークスリーパー PRIDE.14 2001年5月27日
× トレイ・テリグマン 3R終了 判定0-3 PRIDE.13 2001年3月25日
マーク・ケアー 延長R終了 判定3-0 PRIDE.12 2000年12月23日
高田延彦 2R 3:17 ギブアップ(パウンド) PRIDE.11 2000年10月31日
エンセン井上 1R終了 TKO(ドクターストップ) PRIDE.10 2000年8月27日
松井大二郎 1R 5:03 TKO(右眉カット) PRIDE.9 2000年6月4日
× マーク・コールマン 延長2R 3:09 ギブアップ(グラウンドでの膝蹴り) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦 2000年5月1日
桜庭和志 1R終了時 TKO(タオル投入) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【準決勝】
2000年5月1日
ゲーリー・グッドリッジ 1R 10:14 TKO(スタンドでのパンチ) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【準々決勝】
2000年5月1日
アレクサンダー大塚 1R終了 判定3-0 PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
【1回戦】
2000年1月30日
フランシスコ・ブエノ 1R 1:23 KO(パンチ連打) PRIDE.8 1999年11月21日
マーク・ケアー 無効試合 PRIDE.7 1999年9月12日
カーロス・バヘット 10分2R+延長5分1R終了 判定2-1 PRIDE.6 1999年7月4日
ヴェプコ・バルダナシヴィリ チョーク InterPride 1999: Heavyweight Final 1999年5月8日
小路晃 2R終了 判定5-0 PRIDE.5 1999年4月29日
エジソン・カルヴァーリョ 1R 3:16 TKO(右フック) World Vale Tudo Championship 7 1999年2月2日
アロイジオ・フレイタス・ネート 1R 7:26 ギブアップ World Vale Tudo Championship 6 1998年11月1日
ゲーリー・グッドリッジ 1R 5:58 KO PRIDE.4 1998年10月11日
ローマン ・チクーノフ 1R 2:15 KO MPS 1996 - 世界のカ人1996 1996年1月23日
この戦績は未完です。

キックボクシング[]

勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× アーネスト・ホースト 3R 0:51 KO(右ローキック) K-1 DREAM '99 1999年7月18日

脚注[]

  1. 1.0 1.1 Igor Vovchanchyn in exclusive interview Mix Fight M-1 2008年2月10日
  2. kamipro』No.106、2006年。日本での代理人の川崎浩市コラムより。
  3. 『kamipro』No.120、2008年。川崎浩市コラム。

外部リンク[]

Wikipedia[]

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